三木正夫 好きです須坂! がんばろう!

信州須坂から徒然なるままに様々なことを書き記してまいります。

行政経営 「子曰わく、民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。」 情報受発信の重要性 

2014年08月24日 | Weblog

子曰わく、民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。

尊敬申し上げる経営者の方から、徹底が一番難しいと教えていただきました。市長として、実感しています。

徹底するには、情報の発信、受信が重要と考えます。

「いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)」という情報伝達の5W1Hにプラスして「どのくらい(How much/How many)」を加えてた5W2H(参考 http://kotobank.jp/word/5W1H)を可能な限り実践する。

 

http://www.geocities.jp/rongo21/rongo/8_9.html から

子曰、民可使由之、不可使知之。

子曰わく、民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。

 訳

「由る」は「頼る」の意味です。人々を治めるさいの姿勢を説いた文言です。以下の様に訳します。

孔子は言った。
人々を頼らせることは容易だろう。しかし、理解してもらうのはむずかしい。

 解説

この言葉は、長年、権力の都合のいいように、下のように曲解されてきました。

孔子は言った。
愚かな民は、頼らせるべきで、わざわざ知らせるべきではない、混乱を招くだけだ。

この解釈は、権力による情報統制の根拠にされてきました。最近でも、不良債権問題、薬害エイズ問題等を思い起こせば、なるほどとうなずくことが出来ます。

これは、「べし」を恣意的に「命令」または「当然」の意味に解釈した結果です。本当は、この「べし」は「可能」あるいは「推測」の意味です。

 

http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-08-196.htm 

から

〔 読み下し 〕
子(し)日(のたま)わく、民(たみ)は之(これ)に由(よ)らしむべし。之(これ)を知(し)らしむべからず。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい」と。
 
〔 解説 〕

2500年前の封建時代も民主主義下の現代も、一般大衆の政治に対するセンスは、さほど変わっていないようです。ここでは「之」を政道と解しましたが、「伝統文化」ととっても「社会の習慣や規範」ととっても良いでしょう。

この章を「人民は黙って政治につき従わせておくべきで、いちいち内容を説明すべきものではない」と曲解している人に時たま出会わしますが、これは可(べし)・不可(べからず)を命令形(~せよ!~するな!)と勘違いしているんですね。(残念ながら日本の官僚は皆勘違いしているようですが)ここで使われている可(べし)・不可(べからず)は可能形で、できる・できないの意味です。

この文章に雍也第六141章をつないで読むと、一層意味合いがはっきりするのではないでしょうか。「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。中人以上は以て上(かみ)を語るべきなり。中人以下には、以て上を語るべからざるなり。(人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい。何故かと云うと、中根以上の人には高尚なことを云っても理解できようが、下根の人には高尚なことは中々理解できないからである)」と。

論語の各章は、結論だけズバッと語られているものが殆どですから、他の章の文言を持って来てつなぎ合わせると、意味が一層鮮明になる所が結構あります。論語の篇立ては一応内容の似通ったものでまとめてありますが、中には行き場を失って紛れ込んだようなものもかなりありますから、言葉のパズルでもするつもりで、関連するもの同士をつなぎ合わせてみるのも、論語の一味違った楽しみ方ではないでしょうか。

http://rongo-fukyukai.jp/kaichou_no_kotoba/mura200910.htm

から

【伊與田学監釈】 民は徳によって信頼させることはできるが、すべての民に真実を知らせることは非常にむずかしい。(仮名論語頭注)
【安岡大師釈】 民衆は利己的で目先のことしかわからないから、爲政者の遠大公正な政策の意味を理解させることは非常にむずかしい。時には不可能である。結局民衆の良心を信じ、「何だか能く分からんが、あの人の言うことや行いに間違いはなかろうから任せる」。信無くんば立たず、信頼させる以外に由らしむることは困難である。(朝の論語)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1049643175

から

子曰、民可使由之、不可使知之
孔子は言った。人々を頼らせることは容易だろう。しかし、理解してもらうのはむずかしい。

本当は論語のなかの孔子のことばです。

「民は従わせるだけでよい、知らせる必要はない」と、よく誤解して使われるのですがこれは間違いです。

「為政者たるもの、民に信頼され親しまれるように努めなければいけない、しかしその気持ちをわからせるのは難しい。」とでもいった意味でしょうか。

 

 

 


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