三木正夫 好きです須坂! がんばろう!

信州須坂から徒然なるままに様々なことを書き記してまいります。

わた花まつり 綿花を触ったことはありますか。須坂市日滝原 綿花畑MIRAI ご自分の夢を実現

2014年09月11日 | Weblog

 

◎ 「わた花まつり」  

 

長野県須坂市大字日滝原字境塚3018

 

10月4日(土)、5日(日) 午前10時から午後4時まで

 

場所などより詳しくは、

 

 http://www.mirai-hp.com/

 

http://www.mirai-hp.com/outline

◎MIRAIホームページ

http://www.mirai-hp.com/goods/766.html

 

http://www.shinmai.co.jp/photo/201311/13110401.html から

須坂市日滝の綿花畑が収穫の季節を迎えている。一つ一つの綿の実に袋をかけて育ててきた上高井郡高山村の山本友子さん(53)は、「こんなに育ってくれてありがとう」と、いとおしむようにコンテナに綿花を並べていた。山本さんは将来、畑を観光農園にすることを考えており、「北信濃で綿の持つ癒やしの力を伝えたい」と話している。

 ◎須坂の綿花畑 花が見頃 - 信州の花だより 信濃毎日新聞社 2014年8月17日

http://www8.shinmai.co.jp/flower/article.php?id=FLOW20140817002569

綿花畑は県内では珍しいという。花は9月下旬まで続き、11月初旬までは、綿の実の白い繊維が花のようにはじけた実りの風景が楽しめる。山本さんは「種類を増やしたので、花が個性豊か。ぜひ実物の綿を見てください」と話していた。

◎2014' 晩夏 須坂市「MIRAI」の綿花畑

http://blog.livedoor.jp/hidougu-rakuen/archives/39732423.html

今年は北信濃方面にぶらりカメラ旅が集中していますが、この暑さの中では遠出の元気もありません、そんな折に須坂の山間(やまあい)で綿花(めんか)を栽培している方が居ると聞きカメラを担いで出掛けました。
事前に場所の見当は付けて行ったのですが、「山間で綿花の栽培」と言う先入観で迷い、農作業をしている方達に3回もお聞きしたのですが、「綿(わた)を作っている人なんて聞いた事無いなー」との回答、民家もないので国道54号線(三木注…国道は403号です。)から分かれた通称「くだもの街道」と呼ばれる道に出て数十メートル走ると(以下略)
 
 
 ふわふわの綿. くだもの街道沿いの遊休農地(本郷町)を活用して、綿花が栽培されています。今年から栽培を始めたという山本友子さんは「今後、須坂の. 新しい特産品にしていければ」と話していました。
 
◎信州学小全
 ●善光寺平は江戸、明治、大正頃までは、菜種、綿花栽培が盛んであったらしい。養蚕からりんごなど果樹へと変遷していますが、菜の花は見事。現代では、菜の花は飯山や小布施千曲川沿いなど観光的に見られるだけになっています。また、綿花はほとんどありません。菜の花の菜種は須坂田中本家や小布施の高井鴻山のような豪商も輩出したが、やはり、ランプ・電気が出てきて廃れました。綿花は、海外の輸入品との価格差などで作られなくなり、また、ナイロンなどが出てきて、栽培されなくなりました。
 
農家が屋根に煙出しという通風を良くするための施設を付けたのは明治30年以降です。どうしてかというと、明治29年に輸入綿花の関税が撤廃される。この辺りは綿の産地だったのですが、綿作がやってゆけなくなったので桑園に転換するわけです。
 千曲川の沿岸は夏は綿花を作って、秋に菜種を蒔く。春に菜種をしぼって菜種油を江戸へ送っていた。菜種の搾り粕を綿の肥料にした。綿花と菜種の栽培はこの辺ではワンセットになっていました。須坂の日野村辺りは、明治の初期には畑の5割まで綿を作っていた。春、千曲川の沿岸の自然堤防は一面菜の花畑になるので、黄金島(こがねじま)といわれていた。
 
ふわふわの綿

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