青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

湯上がりなう

2011年09月10日 23時22分49秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 人を巻き込んで、行きつけの銭湯に行ってきました。
 どうもここ一週間、寝落ちが多かったり眠気に襲われたりしたので、
 いいリフレッシュになりました!


 明日からまた気分を一新してがんばりますヾ(*^▽^*)o

フェアに考えよう。

2011年09月10日 18時17分51秒 | 青裸々日記。
花虎ノ尾(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 自分の勝手な思い込みで、精神に不調を来たしてしまうのはもったいないことです。

 よくある例が、「仲間がワイワイ話をしているところに自分が通り掛かった瞬間、みんな静まり返った。だから私は嫌われているに違いない」という話。
 しかし、話が止まったのは
 ・ちょうど話に切りが付いたタイミングだっただけのことかもしれないし、
 ・自分たちの五月蝿さ加減にハッと気付いただけの話かもしれない。
 つまり、嫌われていると勝手に決めつけて落ち込むのは馬鹿馬鹿しいですよ、
 心の平和や健康を大切にすべく、こういうアドバイスがなされるわけです。


 しかし。

 こんなアドバイスは、主に「繊細な人」や「心配性な人」に対してのみ有効なだけで、
 すべてが全て、「嫌われていない」とは言い切れないこともまた、厳然たる事実なのです。
 つまり、仮にこちらのこと本当に嫌っているとして、
 話をサーッと止めることで、嫌悪感を伝えることだって、ケースとしてはあるわけです。
 嫌われているかもしれないのに全てを「気のせい気のせい、相手の都合じゃん!?」と言って済ませていたら、
 ただの現実逃避というか、全ての人から嫌われるだけで、それはそれでまた、精神をおかしくしてしまう原因にもなる。

 そこで、「物事をフェアに見る」という考え方が必要になってくるのです。

 先の「仲間が話をやめた」例で言えば、
 「必ずしも嫌われているとは限らない」
 「必ずしも嫌われていないとは限らない」
 どちらの可能性のほうが大きいとは、即断できないわけですよね。
 どちらかが定かでない以上、決めつけるのはもちろん良くないことです。
 しかし、本当に問題なのは「悲観的な答えばかり決め付けて、心を病んでしまうこと」です
 そもそも、「嫌われているかもしれない」と思えるのは、
 問題意識の高さの顕れとも、あり余る向上心があるからとも言えるわけです。
 心を病んでしまうからいろいろ言われるわけで、
 別に元気でいられるなら、「自分にも問題があるのかな…!?」と考え、自分を磨いていても、
 なんの罪にもなりませんし、バチだって当たることもない
 むしろ、問題意識があるおかげでより良い人間関係を築き上げられるなら、
 「悲観的な発想」だって、ウェルカムなこともあるのです。


 無理をせず、苦しくならない程度なら、
 少しネガティブな見方をしてみるのも、心をしなやかにするためにはむしろよいことである場合も多いのです。
 「いろいろな可能性がある」ということを考えた時、
 悲観的すぎるのも、楽観的すぎるのもダメで、
 フェアなものの見方をすることがいかに大切かが、お分かりになるハズです。



 想像力は豊かなほうがよいのです。

花虎ノ尾

2011年09月10日 05時45分56秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 皆さんが「秋の到来」を感じるのは、どんな時でしょうか!?

 私はこの「花虎ノ尾」を見ると、「あぁー、秋が来たんだなー!」と思います。
 ちなみに、勝手に「ハナトラさん」というニックネームを付けています。


 よく見かける花ですが、春夏はその存在もわからない位なので、
 成長の早さや生命力を感じます。
 ハナトラさんのように、可憐にしたたかでいたいです(笑)


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