明日もやりたいようにーmiddle60

切り折り紙、釣りなど
全身遊び心の日々・・
もっともっと忘れたい
なぜなら
どんどん新しいことが入ってきそうだ

24年思い出その2

2007年08月02日 | 自分史

 家は南向き。家の前にはスイカが作ってある。実がつくと油紙(昔、教員がガリ版印刷に使っていた例の紙だ)を上に張った箱をかぶせてあった。大きなスイカができると食べるのが嬉しくてたまらなかった。
 弟妹は双子である。そのためか、家ではヤギを飼っていた。ヤギの乳をしぼって、クドで煮て弟たちが飲む。ほしくてほしくてしかたがないので「あまったらちょうだいー」と叫んでいたそうだ。長男は我慢なのか。事件と言えば、そのヤギが逃げ出したことがある。母親が追いかけ、4歳の私が迎えうつ。両手をひろげて止めたことを覚えている。そういえば、乳をいれたどんぶりには鶴の模様があった。ヤギが逃げ回った庭先をでて左へ向かうとお茶の生垣があった。そこを左に回ると竹やぶになり川の堤防に出る。堤防は石垣でつくってあり登りやすい。その下で「あまご」を釣っている父の姿がある。数年前(平成12年)その場所を訪れたが、当然といえばそれまでだが、何もない。


24年思い出

2007年08月02日 | 自分史

1 家の裏が川(片知川)であったので、台風で大水が出るととても怖かった。「ごろごろごろ」と大きな岩が川の中を転がる音がするのだ。ものすごく怖かった。

2 この頃から「虫」にも興味を持った。西側の家におばあさんが住んでいた。そのおばあさんは、毎日、「みつまた、こうぞ」の木の皮を、人差し指と親指の間に何か糸か紐のようなものが張ってあるもので、「シャッシャッ」と背中をまるめて剥いていた。美濃和紙の本場だから、和紙を作る工程のいくつかは記憶に残っている。剥いだ樹皮を釜で煮る匂いがいまだに鼻に残っている。紙を漉いたあと、貼り付けておく板がある。写真の板がそれだ。このおばあさんが、紙に包んだ虫をもってきてくれた。コガネムシとかは覚えている。

Resize0095 この写真が最も古い写真。耳に指を突っ込んでいるのは「中耳炎」のため。未だに左耳が聞き辛い。そういえば耳鳴りがするのも左耳だ。

足元に注意!なななななんと「わらじ」である。写真屋さんが怖くて逃げ回っていたそうだ。せっかくもう少しいい服を着て撮影する予定だったそうだが逃げ回り、普段着のこの写真となった。記録としてはこの方がいい。