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福田氏、南京で虐殺記念館を訪問
日本の首相経験者で4人目 共同通信
【北京共同】福田康夫元首相が24日、中国江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問していたことが25日、分かった。中国メディアが報じた。日本の首相経験者では海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。
中国メディアによると、福田氏は犠牲者に献花し黙とう。記者団に対し「最も大切なのは平和だ。戦争は残酷で罪のない民衆を巻き込み、痛ましい被害をもたらす。再び戦争を起こすことは許されない」と述べた。
同時に「日本人は記念館を訪問し歴史を理解すべきだ」と指摘。史実を広く後世に伝えることが現代人の責任との認識を示したという。
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0626/kyo_180626_6728752397.html
このブログでも南京虐殺記念館を扱ったことがある。本当に旧日本軍が短い期間に30万人もの市民を虐殺したのか疑問があった。そこでウキペの出番で検索・・・
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南京事件(なんきんじけん)は、1937年(昭和12年)12月の南京戦において日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、当時の日本軍が中国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵、そして南京城内や周辺地域の一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件。「名称の種類と変遷」節で述べるように、南京大虐殺、南京大虐殺事件、南京虐殺事件など多様な呼称がある。中略
この事件については、事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か、犠牲者数などさまざまな論争が存在している(南京事件論争)。事件の真相はいまだ不明であり[2][3]、万人が納得するような説明はいまだなされていない[4]とする意見がある。
6週間で30万人もの人を殺す事ができるとは旧日本軍にはよほど強力な武器があったのだろうか。私はこの問題の本質は旧社会党の田邊誠を主犯と言いたい。この記念館を造ったのは田邊の活動によるのも、証言として・・・
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南京大虐殺紀念館の建設要請
浜田幸一によると田邊が1980年代に南京市を訪れた際に南京大虐殺紀念館を建設するよう求めたという。浜田はこの要請や総評から南京市への3000万円の寄付によって同紀念館が建設されたと語っている[3]。
◇田邉と金丸という与野党の実力者は、本来ならば対立関係にある筈ですが、なんとお仲間で大の仲良しであったそうで、お互いに「マムシとナマズ」と呼び合っていたそうです。いかにも「マムシとナマズ」と言う感じですが、本当は「同じ穴のムジナ」です。
◇金丸晋はのちに不正蓄財で失脚、家宅捜査では金庫から莫大な現金と金の延べ棒やクルーガ金貨などが発見されたとのこと。これは北朝鮮の金日成から贈られたものだそうで、金貨の通し番号は、オーム真理教の教祖麻原彰晃が隠し持っていた者と隣り合っていたと言われています。それにしても日本の政治家には何と売国奴が多いのでしょう。
https://ameblo.jp/siitoruke/entry-11928150046.html
私はこの話を真実としている。自身の蓄財に利用して国を売るような行為、これを売国と呼ばずとしてなんと言う、韓国は慰安婦が20万人いたと言い、中国では30万人いたと言う。人数が一人歩きして言った数が史実となる。日本政府は史実を元に研究を重ね掘り下げていくが特亜は言った者勝ち、こんないい加減なものを真実だとして総理経験者が訪れ過去の何々を謝罪云々などとオコガマシイわ。こやつらを外患罪で裁く事ができないものか、売国行為は厳罰、法律では無罪か死刑、だが適用された例は皆無。本当に情けない日本、余命三年時事日記が各方面で売国行為をした者を外患罪で告発した。が、検察庁は門前払い、逃げよった。