我的網球日記

昨日の自分を越え、身近な幸せに感謝するための自叙伝!

ある悲しい知らせ…

2005-08-14 | テニス&スポーツ (網球&運動)
一昨日だろうか、僕の御世話になったテニス仲間(オジサン)が危急の状態だという知らせを受けました。。

その方は何と癌で、もう歩く事もままならないと言う…。中国に来る前は、良くテニスをしていたのに。。頭にあるイメージは、憎まれ口を叩く尊大なオジサン…腕っ節が強くサーブとボレーが凄かった(足は動かないけど)。そんな姿になるとは、未だに信じられない。。。

そのオジサンは常時オチャラケていて、テニスもそんな感じ。はっきり言って、僕は彼の不真面目なテニス態度が好きでは無かった。その上、自分に野次を飛ばすからだろうか。本人の前でボロクソ批判したこともある。今思えば、失礼な話だ。でも、その方と巡り合ったテニススクールのエキスパート(一番上の男だけのクラス)で見せるテニスは真剣そのものだった。

僕がアメリカのホップマンに行く時も軽くポ~ンと$200をくれた。スペインに行く時は、励ましアドバイスをくれた。中国に来る時も、「現地のテニスリポートを書いて、日本の雑誌社に投稿すれば?」と具体的な助言を頂いていた。車で送ってくれたりもしてくれた。

最近想うのは、僕は多くの人に助けられている…だがその人々に何も恩返ししていない。する力がないのだろうか。たまらなく無力感に襲われる。

ある身近な御世話になっている人も少し前に癌が発見された。彼は「入院して寝たきりになり、人間らしい生活が出来ないなら死んだ方がマシだ」と言っていた。彼は残された少ない時間を有効に使いたいと。「オマエや多くのこれからの将来を背負う人々に自分の経験や知恵を与えたい」と語っていた。その時、僕は悲しみと感動で涙が止まらなかった。
彼は手術を見送り現在放射線治療をしており、症状は安定しているようだ。中国で頑張って少しでも成長した姿を見て貰いたいと堅く決意したものだった。それを今回の件で、鮮明に思い出した。

人はいつか死ぬ…それは頭では理解しているつもりだ。人は何のために生まれるんだろう。何を探し続けているのだろう。愛する人・やりがいのある仕事…そう人生における感動を求めて。そして、一人の人間が何を残せるのだろう。

一生答えが出ないものなのかもしれない。でも、僕は「人生の意義」「僕が残せるモノ」を探し続けねばならない。そのためには、毎日毎日を大切に過ごす事だろう。

どうか神様オジサマに今一度生きるチャンスを与えて下さい。突然の別れは、僕には到底納得できない。認めたくもない。

こんな出会いを与えてくれた「テニス」は、時には余りにも残酷だ。それすらも、乗り越えろということなのだろうか。今の僕には理解できない。