EVDがなかなか下降傾向にならないシエラレオーネ。空港には先進各国からの支援物資が続々届き、専門家チームが続々到着しているのに、かんじんの感染者のもとには何も届かずに自宅でのたうちまわっているという絶望的に実状報告。
- シエラレオーネの空港や港には各国から続々と支援物資が到着し、薬や食料があふれかえっている。人的にもウガンダの医師、中国の疫学者、オーストラリアのロジ専門家、ロンドンの救急車専門家。。。しかし肝心な支援の必要な人のところには届いていない。
- シエラレオーネの庶民宅。ティーンエイジャーの感染者Isatu Sesay、刺されたかのように、苦痛にのたうち回り苦しんでいるが、そして、母親や近所の人がエボラホットラインに35回以上も電話をするも、救急車も何もあらわれない。
- 遠隔地ではなく、エボラ司令センターからわずか45分のところ。
- 3日以上経って、スローガンを大書した車がやってきたが、支援してくれたわけではなかった。対して、亡くなってから遺体の収容ははやかった・
- シエラにおける病勢はおとろえていない、11月だけで1800例。リベリアの3倍。
- シエラレオーネは、”書類上は”立派なプランをもっている。ホットラインに電話したら救急車がやってきて隔離施設に収容され確定診断がおこなわれ治療がおこなわれ・・・
- しかし、感染者数に施設がおいつかず、感染者は自宅にいて、食糧や医薬品や防御衣が(自宅に)届けられるBプランが発動されていた。
- しかししかし現実は、それらの物資も届けられることなく、ただ放置されている。このような事はふつうだと地区ボランティア談。
- このような現実化、地区住民自身が”対策”をとったりしている、怒れる青年たちは道路にバリケードを築いて体温計を片手に通行人に監視し、村で”自主的隔離施設”をつくる(そして素人の村人が見る)という極めて危険なことも行われている。
昨日は、国が支出した予算が現場の遺体処理チームに届かず賃金不払いに怒った彼らがEVD犠牲者の遺体を病院前の路上に陳列するという抗議行動を紹介しました。そして今回は、港にあふれかえる支援物資と続々到着する専門家チームと裏腹に、適正な医療支援を求めても自宅で放置される感染者たち・・・という現実です。この支援はどこに消えているのでしょうか。
管理人のアフリカ感覚(というか、管理人じゃなくてもアフリカに住んで仕事した人なら誰でもピンとくる話ですが)では、ピンハネ、中間搾取、横流し問題です。
昨日は、権力をもつ者によるネコババ、エボラ長者やエボラ御殿の懸念に言及しましたが、もう少し庶民に近いレベルでは、支援物資横流しの問題が起こります。
たとえば、戦乱地近くの(戦乱が終わっていても)市場に行くとよく見られる光景は、支援国の国名が記された麻袋に入った支援米、小麦、缶詰・・・といった品々、もちろん無償供与された品々が、「値札をつけた商品」として売られているという光景を目にします。飢えた人々のところに行くのではなく、お金を払える人が買い、どこからか手に入れた人々は代金を懐に入れる。
そういう事象も制御してゆかねば、悲劇は続いてゆきます。これもまた、エボラ対策にあたり、”ある程度の合理的な銃の力、ミリタリーな力”が必要な所以でもあります。
ソースはdallasnews
http://www.dallasnews.com/news/local-news/20141127-for-many-in-sierra-leone-ebola-care-is-a-cruel-mirage.ece?
For many in Sierra Leone, Ebola care is a cruel mirage