今月初めの日本職業災害医学会、平川先生・岩田先生とさせていただいたシンポジウム、日経BPに掲載されたものです(連載の担当者からオファーいただき、いつもの連載枠の掲載)。労災・産業医系の学会シンポジウムでリスクコミュニケーションが取り上げられたことは大きな意味があります。
URLは↓
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/special/pandemic/topics/201212/528252.html
**************************************
(以下コピペ)
12月2~3日、大阪国際会議場にて第60回日本職業災害医学会が開催された。開会式に引き続き「災害とリスクコミュニケーション」と題したシンポジウムが開催され、リナックスカフェ代表の平川克美氏を招いて、神戸大学の岩田健太郎氏と私の講演、さらにディスカッションが行われた。
冒頭、平川氏の講演では、日本経済の現状が不景気に見えることについて、人口が減少した結果の総需要減退によるものであることが述べられた。人口が減少する理由を、一般に言われているような「将来への不安」や「不景気」とするのは間違いで、日本が発展を遂げた結果、民主化とともに女性の地位が向上し家制度から解放され、結婚年齢が上がり出生率が低下したためであり、この人口減少局面は日本がかつて経験したことのないフェーズにあるので前例踏襲主義ではうまくゆかず、従来の経済成長ありきの行き方では対処できないことを指摘された。
岩田氏は「安心と安全を考える」と題して、リスクは双方向的であることおよびリスクを定量的に見ることの必要性を指摘した。2003年のSARS流行で北京の邦人社会がパニックになる一方で、同じく北京で感染者数の多いB型肝炎に対して無頓着な人々が多かったことや、原発を語るのにある一方のリスクばかりに注目して、他方のリスクを意識的にも無意識的にも無視してしまう構図になっていることを例示し、議論が党派性や立場性をもっていることの弊害を挙げられた。
また、「安全」と「安心」との違いについて、岩手県からの瓦礫受入れを拒否するにあたり、(放射能的には)科学的根拠がないことは分かっているけれど住民の「安心感」のためであるとの理由が示された例を挙げ、「安心」とはリアルなデータに基づかない“雰囲気”“虚像”であるとした。リスクを語るには「有る」「無い」の二社択一ではなく、定量的にものを見ることの必要性とともに、リスクを端から“教えよう”と思わないで、「相手の話を聞く」→「伝える」→「相手の話を聞く」→「伝える」と双方向的にコミュニケーションしてゆくことが必要と指摘された。
ディスカッションでは、フロアからモンスター的な患者とのコミュニケーションについて問い掛けがあり、亀田総合病院での“Say Yes”(まずは否定せず相手の言い分を聞く)ポリシーなど示しながら、相手の言うことに耳を傾けることが強調された。また平川氏から、「決められる政治」について、「朝まで生テレビ」という番組があるが、30年間侃々諤々やってきて、あれ見て納得したという人を見たことがない、侃々諤々で納得が得られるわけではなく、「自分はよく分からないと自覚すること」が必要で、もっと「分からない」ということに焦点を当てるべきだと強調された。
リスクコミュニケーションは一方通行ではうまくゆかず、相手との双方的コミュニケーションが必要であること、「分からない(ことがある)」ということを自覚せずただ強力に説得してもうまくゆかないということを三者三様に強調されたのが印象的であった。