実家は北関東の農家である。一言で言えば代々百姓の家系である。親父の時代は米と麦で生計を立てていた。自家消費の野菜も栽培していた。コンバインなどの機械は殆ど無く、馬に引かせるオウガ(犂)とマンガ(馬鋤)と人力で鍬とマンノウ(万能鍬)で耕耘していた。
兄が跡を継いで、機械化が進み稲作は続けたが、麦の作付けは減らして、空いた手間と畑で野菜を栽培して、市場へ出荷していた。毎日が忙しく、田植えや家畜の世話を手伝った。初夏の農繁期は学校を休まされて、田んぼに出て田植えを手伝い、苺の収穫時期は収穫と箱詰めの手伝いで勉強どころでは無かった。
そんな生まれと育ちなので、鍬やマンノウの使い方は知っていた。また、鎌で草を刈る事も子供ころから馬の餌に草を刈って喰わせていたので、慣れている。
先日、空いた畝に石灰と牛糞堆肥を入れて、マンノウで耕し、鍬で畝を立てた。その様子を見ていた貸し農園の隣人が「素人じゃないねー」って、声を掛けてくれた。マンノウや鍬の使い方が板についていると言うのである。へっぴり腰ですが育ちがバレましたか、と言って笑ったが、生まれや育ちは隠せないものである。
兄が跡を継いで、機械化が進み稲作は続けたが、麦の作付けは減らして、空いた手間と畑で野菜を栽培して、市場へ出荷していた。毎日が忙しく、田植えや家畜の世話を手伝った。初夏の農繁期は学校を休まされて、田んぼに出て田植えを手伝い、苺の収穫時期は収穫と箱詰めの手伝いで勉強どころでは無かった。
そんな生まれと育ちなので、鍬やマンノウの使い方は知っていた。また、鎌で草を刈る事も子供ころから馬の餌に草を刈って喰わせていたので、慣れている。
先日、空いた畝に石灰と牛糞堆肥を入れて、マンノウで耕し、鍬で畝を立てた。その様子を見ていた貸し農園の隣人が「素人じゃないねー」って、声を掛けてくれた。マンノウや鍬の使い方が板についていると言うのである。へっぴり腰ですが育ちがバレましたか、と言って笑ったが、生まれや育ちは隠せないものである。