山畑で野菜作り

近隣の畑の貸し農園で試行錯誤で野菜作りをしている年金生活者です。

イチゴの栽培

2018-09-14 08:08:56 | 日記
家が農家だったので子供の頃から苺の栽培と収穫の手伝いをさせられた。ハウス栽培だったので、空っ風が吹く寒い日でも寒さは感じなかった。また、作業は単純な作業で面白く無かったが、収穫した苺を市場に出荷するために箱に詰める作業は楽しかった。

それは熟れ過ぎた苺の実は消費者のところまでもたないので、箱詰めから除外する。除外する熟れた苺は作業しながら食べてしまうのである。完熟だから非常に美味しい苺である。それを沢山食べられるので楽しかった。兄夫婦が何年も掛かって品種を選び肥料や栽培法を工夫して美味しくなった苺である。その黒くなるほど熟れて美味しい苺の味は今でも忘れられない。

あの美味しい苺を食べたいと思い、イチゴの栽培に挑戦しているが、何年栽培してみても、あの美味しい苺の味にはほど遠い。若い時もう少し手伝って、兄から美味しい苺の作り方を教えてもらえば良かった。

兄の口癖は、美味しい苺造りは、水と光と土だった。当時は全く意味が解らなかったが今は少し解る様な気がする。

水とは潅水のことで、ほぼ毎日のように苺に水をやっていた。光は陽光のことで、日照時間とハウスに使うビニールの透過率も考えていた。南側に透過率が良い新しいビニールを北側には古い曇ったようなビニールを掛けていた。土とは土壌のことで堆肥や肥料である。当時は牛糞をダンプかーで運んで来て土に投入していた。完熟では無いので、結構臭かった。

2018-09-13 11:28:38 | 日記
朝晩はすっかり涼しくなった。秋野菜の生長と冬野菜の準備が進んでいる。

玉ねぎは播種から5日目で発芽の兆しが見えて来た。

分葱やホーム玉ねぎも順調である。

バレた、育ち

2018-09-12 08:54:17 | 日記
実家は北関東の農家である。一言で言えば代々百姓の家系である。親父の時代は米と麦で生計を立てていた。自家消費の野菜も栽培していた。コンバインなどの機械は殆ど無く、馬に引かせるオウガ(犂)とマンガ(馬鋤)と人力で鍬とマンノウ(万能鍬)で耕耘していた。

兄が跡を継いで、機械化が進み稲作は続けたが、麦の作付けは減らして、空いた手間と畑で野菜を栽培して、市場へ出荷していた。毎日が忙しく、田植えや家畜の世話を手伝った。初夏の農繁期は学校を休まされて、田んぼに出て田植えを手伝い、苺の収穫時期は収穫と箱詰めの手伝いで勉強どころでは無かった。

そんな生まれと育ちなので、鍬やマンノウの使い方は知っていた。また、鎌で草を刈る事も子供ころから馬の餌に草を刈って喰わせていたので、慣れている。

先日、空いた畝に石灰と牛糞堆肥を入れて、マンノウで耕し、鍬で畝を立てた。その様子を見ていた貸し農園の隣人が「素人じゃないねー」って、声を掛けてくれた。マンノウや鍬の使い方が板についていると言うのである。へっぴり腰ですが育ちがバレましたか、と言って笑ったが、生まれや育ちは隠せないものである。

土壌分析

2018-09-11 11:23:13 | 日記
収穫した野菜が美味しくない。特に果菜類ははっきり解る。最近は野菜を道の駅のような農協と生産者が直売する大きな野菜専門店で買う事が多いが、この店は野菜の生産者名が明記されており、好きな味、好みの味の野菜を選んで買う事が出来る。苦労して美味しい野菜作りに励んで来た本職の野菜に素人の家庭菜園が勝負出来るはずがない。少し美味しい野菜を作りたいが、その第一歩は土壌分析だと思われた。

近くのホームセンターで尋ねたが、そこでは分析は出来ず、やや遠い園芸品も多いホームセンターへ行って、いつもの顔見知りの店員に相談してみた。

結論は分析すれば結果は出るが、広い畑に同じ作物を栽培し、全面平均に施肥と耕耘をしている農園はその後に栽培する野菜の施肥などの栽培方針を決めるうえで意味があるが、家庭菜園では意味が無いという結論になった。

理由は狭い家庭菜園では畝ごとに作物が違い、施肥が異なり、また隣接する菜園から受ける影響もあるからである。分析しても過去の例から一ケ所の分析結果が畑全体を代表することにならない。複数の畝を分析すれば、畝ごとに異なった数値が出るので、それを平均しても意味がない。つまり役に立たないと言う事である。

畝ごとに沢山のサンプルを分析して、畝ごとに作る野菜の今後の栽培法を決めるのは狭い畑にしては膨大なサンプルを分析しなければならない。その結果畝ごとに施肥などの方針を決めて実行することは大変困難なことである。沢山の費用も掛かるし、土壌分析は断念した。