ハナミズキのdiary

diaryとはいえ週一、月一になりそうですが・・・
思いつくままに。

2007 6 9 (14日目) イスタンブール

2007-07-04 11:21:06 | Weblog
リュステム・パシャ・ジャーミィ  1561年に設計 
イズニック・タイルを全面に張り巡らされた内部は素晴らしい。







イズニック・タイルがふんだんに使われ、特にタイルの赤色は
現在の技術をもってしても、この色は出ないという逸品だそうです。


アラビア文字の美しいカリグラフィ


2007 6 8 (13日目) サフランボル旧市街地

2007-07-03 18:15:49 | Weblog
土壁に木の窓枠が並んだ独特の木造家屋が
1994年世界文化遺産に登録された。
サフランボルの地名は、昔サフランが群生していたことから
つけられた。人口2万7千人の小都市です。




フドゥルルックの丘から眺めた旧市街







旧市街のチャルシュ広場にあるジャーミィ 


ハマム(蒸し風呂式共同浴場)

2007 6 8 (13日目) アンカラ アタチュルクの霊廟

2007-07-03 17:11:06 | Weblog
トルコ共和国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルクを葬るために、
1944年から10年かけて造られた霊廟。
初代大統領になったケマルはアンカラを首都とするトルコ共和国を樹立。
政教分離、近代化に努めた。
後にトルコの父の称号「アタチュルク」を贈られた。



霊廟
建物を取り囲むようにある回廊が博物館になっていて、
肖像画・各国要人からの贈り物・愛用の品々が展示され、
いかに英雄として立派だったかが分かる。



バスを降りる前にバスの中でセキュリティチェックがありました。
入り口からライオン・ロードの参道が霊廟まで続く。




衛兵の交代式



トルコ国旗を模した美しい花壇

2007 6 7 (12日目) ボアズカレ

2007-07-02 12:15:51 | Weblog
紀元前25世紀頃、ここボアズカレに住んでいたハッティ人を
支配したのが、史上初めて鉄器を使用したヒッタイト人で、
ハットゥシャシュに大帝国を築き上げた。
紀元前18世紀頃、ヒッタイト王は神殿・住居・城塞を築いた。



ハットゥシャシュの大神殿跡


撫でると願いが叶うという緑の祭殿石




ハットゥシャシュの聖地であるヤズカヤ遺跡。
紀元前13世紀に岩場を利用して造られた露天神。
岩の間を入って行くと、岩に刻まれた祭儀の様子のレリーフが見られる。


12神の行進


大神に抱かれたヒッタイト皇帝




天候の神テシェブと豹にまたがる妻のヘパト

2007 6 6 ホテル遠望&ジュウタン工場

2007-07-01 15:33:15 | Weblog
カッパドキアの雄大な景色を気球に乗って見るツアーが大人気とか、
乗ってみたっかったな~。







世界で始めてジュウタンを織った民族(パズルック)も、
世界一細かいジュウタン(ヘレケ)を織った民族もトルコ人。
織り方もダブルノットと呼ばれる二重結びで、
ペルシャ絨毯は1ノットだそうです。





目の前の見本を見ながら、根気のいる作業が続きます。

2007 6 6 (11日目) カッパドキア

2007-07-01 14:27:06 | Weblog
カッパドキアはアナトリア高原の中央に広がる直径200kmに
及ぶ大奇岩地帯です。4世紀前後からキリスト教の修道士が
洞窟を掘って住み始め、外敵から身を守りつつ信仰し、
天井や壁に見事なフレスコ画を残しました。



ウチヒサール
火山灰の大地が侵食され出来た三角錐の岩山に、穴を掘ってくりぬいて、
人々が住んでいたとは・・・。


カッパドキア




セルヴェ野外博物館
峡谷には聖堂や住居があり、30年ほど前まで村人が住んでいたそうです。



らくだ岩


ピンク色の岩肌からローズバレーといわれる。
5時30分ごろの写真ですが、もう少し遅いと夕日を受け、
色が変わっていく渓谷美が素晴らしいということです。
その代わり反対側には虹を見ることが出来ました。
タクシーのドライバーさんとチャイを飲み、半日観光を予定通り
終りました。