5月21日(金)、朝会社に出勤後、午後3時頃まで在社。その後議会へ移動し、夕刻帰宅。帰宅後、愛犬散歩に出かけた時、とある家に映った赤い色に後ろを振り返ると真っ赤な夕日が⬇️。
この様な光景を見ると、改めて自分たちが自然の中で生きている事を強く感じます。
さて、今日は少し、人との会話の有り難さ、また何気ない雑談、交流の大切さについて書きたいと思います。
私は現在市議会議員を10年務めさせて頂いていますが、自分のやるべき事や最適な行動について迷う事が多々あります。そんな時に貴重な存在となるのが身近な相談相手でありアドバイスを頂ける人が居る事です。
ある事について自分で考えた時、中々結論が出ない事があります。そんな時、「とにかく見せてみ(言ってみ)。ごちゃごちゃ考えてもいい知恵は出ないって。まず見せる(考えを示す)事が大事」と言われ未熟な考えや案を見せると、それに対し的確なアドバイを貰い、一気に事が前に進んだりします。
また、日常の会話でも、何となく感じている事、不安になっている事、気になっている事を、日常の何気ない時に挟んで会話することで自分の考えが確認できたり軌道修正したり、不安を払拭できる事があります。
ところが、現在のコロナ禍での状況は、家族との会話以外、畏まった(準備された)会話の機会が殆どであり、その他の何気ない会話の機会が失われており、職場での会話もマスクをしてパーテーション越しに行い、食堂では同じ方向を向いて黙々と食事をする事を強いられています。マスクをしているだけに表情から察知するその人の感情もキャッチし難い状況になります。
このコロナ禍での会話の減少が今後社会に相当なダメージを与えるのではないかと今から懸念します。
それだけに、しっかりと感染対策をした上ではありますが、敢えて何気ない会話をすると言う努力をそれぞれが行っていく事が大切ではないかと思います。
コロナ禍前後から今までを振り返り、相談に乗ってもらう事や日常の何気ない会話の大切さを強く感じ、この様に書かせて頂きました。
では、良い週末を!(with smile)