たかお治久の活動報告

高砂市議会議員/たかお治久の活動報告

「先生」と呼ばれて勘違いする人がいる?

2020-03-04 21:42:19 | 考え方

 3月4日(水)、本日は雨でしたが、先ずは会社に出勤し、その後早々に議会へ移動しました。毎日朝は会社に出勤することで、会社内の出来事や会社を通じての社会の動きをキャッチすることができます。

その最たるものが最近では新型コロナウイルスに対する対策。この対策は携帯電話を媒介にしたメール等でも見る事は出来ますが、やはり会社にて、身近な事を肌で感じる事は大切な事だと思っています。

本日も午前10時から本会議質疑。本日は前日に続き令和2年度一般会計の「都市計画費」から再開。再開最初に質問したのが私で令和2年度末までを期限に現在再編に取り組んでいるコミュニティバスの再編検討の状況について確認をしました。

これについては事前に担当に方と何度も現状や再編の取組を確認し、限られら財源(5千万円/年)の中で何が出来るのか、私なりにも考えてみましたが、中々妙案は見つかりません。

実際に「私の地区を走らせて欲しい」と望む方も「実際に乗るのか?」と言えば恐らく年1回から2回が関の山。殆どの方が実際には利用しないけど、無ければ苦情対象になるという状況が現実だと感じています。

福祉目的?一般市民の利便性向上?等、明確な目標(もしくは)ミッションを定め再編をする必要があると思います。(担当者のご苦労は大変なものです)

その後教育部の所では、東須磨小学校の事例をあげながら、教員の世界における「社会的常識やモラルの修得の場があるのか、設けるべきではないか」と問いました。

勿論多くの教員の方々は非常にモラルも高く教員として優れた方だとは思っていますが、私自身、大学を出て会社に入り、今振り返ると、自分では一人前と思っていても、話し方、挨拶の仕方、気の配り方、事の進め方等など、あらゆる面で稚拙であった事を実感しています。(今でも稚拙であるかも知れませんが)ましてや教員となられる方々は22歳で年上の保護者から「先生」と呼ばれ、自分を是正してくれる人は先輩先生しかいないとなると、その先生も若い頃から先生と崇められているだけに、基準がずれている可能性が多分にある様に思います。

私は身近な事例として「高校の先生が通学路の交差点に立っているが、その足元はサンダル!一般社会では組織(この場合〇〇高校、私の場合は㈱カネカ)の看板を背負って、サンダルでの通勤・通学の監視はありえない」や「人と話をする時にポケットに手を入れて話す、挨拶をするという事はあり得ない」という実際にあった事を挙げさせて頂きました。

そういった意味では、私たち市議会議員も結構指導を頂ける機会が少ない立場であり、余程自分が気を付けておかないと、人生の先輩である市の職員さんに「、、、ちゃうのん!?」「そらあかん!?」「おかしいやろ!!」なんて言葉を発してしまう可能性があります。

この事は社会を構成する軸となるマナーとしておかしく、肝に命じないといけないと考えます。

そんな事で、我が会派では「言葉使いを丁寧にする」を会派行動指針として掲げました。

本日は令和2年度一般会計、企業会計、特別会計等すべての議案の本会議質疑を終え、明日からは委員会質疑が始まります。

明日からはより丁寧な言葉使いを心掛け、議案にもしっかりと向き合い、委員会審議に入りたいと思います(with smile)

 

 

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