つわぶきの庭

~明日の元気のために~
 写真と拙詠で綴ります
 (脳トレになればと・・・)
   

★花子とアン・・ ≪ 番傘・下駄≫

2014年09月30日 | 短歌

★・好評のうちに、「花子とアンは」9/27に完結した・・


~~★彡・【穏やかに

          始らむとす 一日の

                    スタートなりき 朝ドラの時間】~


    ~~時代背景を味わいながら「花子とアン」をほぼ毎日、楽しんだ・・
        
         ・関東大震災の「(母の12歳) 様子は折に触れ
             良く聴かされ、その悲惨さと恐怖は、身に染みて
                いたが映像でさらによく分かった。

     ~~戦後間もない世相も、小学生の記憶なのに、なぜか懐かしい
            気持ちで見ていた・・

         闇市も、特攻隊のことも、兵隊さんの帰還も、その頃毎日
            ラジオからは、舞鶴港の引き揚げ者の名が流れていた・・

              子供ながらも、激動のなかの大人の大変さと
                 頑張りが伝わって来るのだった・・


   
★・s20年代はこうもり傘(洋傘)は無かった・・       

★・番傘・・

~~番傘は、素材の竹と和紙に(アブラ・塗布)で出来た、がっしりとした
          丈夫な作りで、子供用もあり重たかった・・

      行商のオジサンは岐阜からで、間隔は半年ぐらいだったたと思う・・

         番傘を大風呂敷に包み、背中に背負ったオジサンが訪れると
             お隣さんもその声で 寄ってきて一緒に選んだりした

                物売りというより、親しい親戚の来訪のように
                   母は 和やかに応対していた。

       ★それは越中富山の「置き薬」も同様で、番茶など振る舞う
           間柄にあり、交換の訪れるを楽しみにしていた風潮がある
               昭和は、そんな時代だった・・。~


★・下駄・・ 鼻緒のすげ替え・・  台が差ほど磨り減っていない時
           鼻緒を新品にしてもらう、手際良くすげ替える間ジーと
               見てた、その記憶は鮮明・・。~

    小学4年生頃まで、履物は下駄だった記憶・・が
      桐の下駄は、カルカッタ・・
        「塗り」の家族全員の下駄が並ぶと、正月近しとなる・・
   
           父が健在の頃の懐かしい記憶・・。~

    
  ~~新しい連続テレビ小説「マッサン」の初回視聴率も、
       「花子とアン」の初回視聴率同様の好調なスタートという

         朝の15分間、穏やかな一日の始まりを
              ドラマで、寛ぐ・・この幸せに感謝。

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