最近、ブームかのように語られる「死」終活、デスカフェなど、、、
確かに、この現代にタブー視な「死」について考え、語り合うことは大切なのだろう
人は、誰しも必ず死ぬ
しかしながら順調にゆけば、誰にでも死の前には「老い」がある
僕は生死をさ迷った、が、それは寝ているのと同じ感覚だった
ただ、それなりの夢を見た、三途の川らしきものとか、、、
その後、目が覚めれば「生」、目が覚めなれば「死」なのだろうとも思った
僕は死ななかったので、死はどういうものなのか分からないが
死にかけた僕は、死ねば本人には何も分らないものなのだと思う
要は、死んでみなきゃ分からないし
死んだ後のことは、自分の意思では何も出来ない
死を考え語り合う前に、死の前に確実にある
「老」老いる、と言うことを、介護されると言うことを
直視し考え、語り合った方がいいと思う
オムツをあてがうこと、他人に下の世話をしてもらうこと
認知症になって、自分が誰なのかも分らなくなってゆくことなどなど、、、
それらを真剣に考えたあと
誰も経験したことのない「死」について考え語り合えばいい、僕は思う。
確かに、この現代にタブー視な「死」について考え、語り合うことは大切なのだろう
人は、誰しも必ず死ぬ
しかしながら順調にゆけば、誰にでも死の前には「老い」がある
僕は生死をさ迷った、が、それは寝ているのと同じ感覚だった
ただ、それなりの夢を見た、三途の川らしきものとか、、、
その後、目が覚めれば「生」、目が覚めなれば「死」なのだろうとも思った
僕は死ななかったので、死はどういうものなのか分からないが
死にかけた僕は、死ねば本人には何も分らないものなのだと思う
要は、死んでみなきゃ分からないし
死んだ後のことは、自分の意思では何も出来ない
死を考え語り合う前に、死の前に確実にある
「老」老いる、と言うことを、介護されると言うことを
直視し考え、語り合った方がいいと思う
オムツをあてがうこと、他人に下の世話をしてもらうこと
認知症になって、自分が誰なのかも分らなくなってゆくことなどなど、、、
それらを真剣に考えたあと
誰も経験したことのない「死」について考え語り合えばいい、僕は思う。