介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

アナウンス

3000-12-21 16:03:53 | 武久の視線
  • 人は体と心とで出来ている

 

  • 体の痛みもあれば、心の痛みもある

 

  • 体の痛みをケア、心の痛みもケア

 

  • 体の成長は止まるが、心はいくつまでも成長をする
 
 

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認め合い助け合う社会

2025-01-04 11:20:23 | 武久の視線
医療的ケア児や認知症、知的、精神障害者や身体障害者など、、、
社会的弱者とって住みやすい街は、みんなにとっても暮らしやすい街なのだろう
おたがいさまの心や協調性のある社会、助けあい認め合える社会、、、
そんな社会なら悩みや問題、困窮などを抱え込み孤立する人もいなくなるだろう
現代のケア業界で言われている多職種連携や地域包括、チーム医療など
連携すると言うことは
おたがいさまや認め合い助け合いなどの心や意識を持つことが大切なのでは。
 

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セットもの

2025-01-03 09:30:04 | 武久の視線
最近ブームかのように語られる自分らしい「死」、死に方、、、
確かにタブー視されて来た死について考えることは大切なのだろう
人は必ず死ぬ、人はピンピンコロリを願うが
しかし大体の人は、死の前に要介護となり介護のお世話になる
他人の世話にはなりたくはないのが人の常
介護を受けるようになると色々と葛藤するだろう
穏やかな介護を受ける日々でなければ、穏やかな死を迎えられる筈もない
死を考えることは大切だが、死と介護を受けることはセットだと意識することも大切。

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命と生きがい

2025-01-01 11:16:34 | 武久の視線
命と生き甲斐なければ、人は生きてはいけない
僕の経験の中に以前、訪問医から言われた言葉で
「武久さんは色んなとこに出歩かないでベッドで安静にして居てもらうと私は安心します」
それ以来、命と生き甲斐について考えるようになった
延命治療、、、ADLとQOL、、、医師の役割、看護師介護士の役割、、、
安静を強いられ生きていても人は(生きていてよかった)と思えるだろうか?
生き甲斐を感じられなければ人は生きていてよかったと思えない、と僕は思う
命を守る人もケア職の人も、患者や利用者もその家族も
生き甲斐を感じられなくては、生きていてよかったと、幸せを感じることはないだろう。
 
 

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職場の人間関係

2024-12-31 09:54:06 | 武久の視線
僕がお世話になっている看護、介護業界だから僕も関心があり
個人のSNSなど覗いている、拝見していて人手不足について思ったことがある
離職率、人手不足の要因の一つに職場の人間関係があると思った
お局が、、、とか、認めてくれない上司、同僚に嫌味を言われ、、、ギクシャクする人間関係
人間関係に嫌気がさし退職するパターンは多いみたいだ
さすれば職場の人間関係が良好なら辞める人を防げ、退職による人手不足の改善になる
職場の専門的スキルアップは大切なことだが、それと同じくらい
職場のコミュニケーションの取り方など、良好な人間関係の構築が必要なのでは。
 
 

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ケア職の見方

2024-12-29 11:13:06 | 武久の視線
「敬語で話すより、普通(タメ口)に話した方が親近感もわくし、、、」
「介護リフトを使うのは反対です、人をものみたいに扱うなんて、、、」
「絶対転びません、転んだとしても僕が下敷きになりますから、、、」
「今日も明るく楽しく」、、、どれもこれも医療や介護現場で聞いた言葉
これらの言葉は医療や介護行為を行う側の主観だけの言葉
タメ口、僕はあなたの友だちじゃない、人の手の力だと痛みを感じることもある
あなたが下敷きだとしても怖い、明るく楽しくと言われてもそんな気分じゃない
医療や介護従事者の主観の見方だけではなく
患者や利用者が感じたことや想いなども反映されたケア職の見方であって欲しい。
 

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入院中の思い出

2024-12-28 11:41:16 | 武久の視線
意識がハッキリした頃、病院スタッフから「助かってよかったね」と言われ
声も出ず、どこも動かない僕はよかったとは思えなかった、逆に死にたいとすら思った
リハビリをして療法士に「ずごーい〇〇できましたね」とか言われ愛想笑い
内心は子どもでもないのに、健常者ならやれて当たり前のことなのに褒められてもなぁ~
病気の治療やリハビリは進んでゆくのに、内心的なところには声かけもなく本人任せ
絶望感や喪失感、先々の不安などは一人で抱え葛藤するしかなく辛かった、人は体と心なのに。
 
 

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気づき

2024-12-27 09:35:40 | 武久の視線
ある人とのFacebookのメッセンジャーのやり取りで気づかされた
今の僕だから出来ることを模索し続けて行き着いた、当事者視線の発信
その僕の発信が専門職の人の役に立てることは、嬉しく喜びや生きがいにもなる
僕は今まで20数年、現在65歳この先も患者として利用者としてお世話になるだろう
医療、介護、福祉従事者の人たちへ、僕の感謝の意を込めたものだと自覚させられました
 
 

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看取り

2024-12-26 09:13:51 | 武久の視線
昨夜のzoomミーティングのテーマは看取りだった
自分にとっての看取り観を話すコーナーがあったのでこんなことを話した
僕が看取られるとしたら場所はどこでもいい、枕元に妻がいるのなら
僕の体験からも、周りから意識がないように見えても耳は聞こえていたこと
看取られる時には、その人の生きざまが観える
何処にいても誰といても家族がいても、、、その人が何を大切にして生きて来たのかが現れる
 
 

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園児や児童たちとの思い出

2024-12-25 09:29:27 | 武久の視線
僕らの福祉学習の始まりはオリジナル紙芝居、園児や児童たちとの関りだった
僕のねらいは紙芝居の内容もさることながら「かわいそう」と思える心だった
核家族化が進む現代、祖父母の老いる姿や逝く姿を見て感じる機会もなく
かわいそうの対象は物語だったりペットだったり、、、かわいそうな大人との関わりは、、、
特に幼児期に芽生える「かわいそう」と思える大切さ
園児や児童に「たけちゃん、かわいそう」と言われると嬉しく思える僕がいました。
 
 

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