介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

感謝の言葉の裏側にあるもの

2024-11-30 07:56:34 | 武久の視線
もともと人は、他人にものを頼むと言うことが苦手なもの
ふつうなら無理をしてでも、自分一人でやってしまう場合が多い
しかしそれが、患者や利用者となると
他人の世話にならなければ、自分一人では出来ないことだらけになってしまう
その人に頼むのだから、その人から嫌われたら頼みにくくなる、、、こびへつらう
一人で出来ない自責の念や惨めさ、お世話になりすみません、、、申し訳ないと言う気もち
それが「ありがとう」の連呼になったり、大げさな感謝の言動につながったり
もちろん感謝しているのに間違いはないし、ありがたいとも思っている、しかし、、、
患者や利用者の感謝の言葉の裏側には
感謝の意だけではない、さまざまな想いか詰まっている場合が多い。
 
 

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第1ボタンのかけ違え

2024-11-29 09:28:32 | 武久の視線
 
「あなたは入院したいですか?」「他人のお世話になりたいですか?」
誰でもNOと答えるだろう医療、介護、福祉、、、他人をケア、支援する仕事の人たち
想いの中に他人から感謝される仕事、善いことをしている、と思う人は多い
とてもよい想いなのだろうけれど、でもそれは支援する側の想いだけであって
実際にケアや支援を受けている人は
今の自分は、自分では望んではいなかった姿、他人の世話になる惨めな姿なのだ
だから何? と言う話かも知れないが
ケア、支援側の想いだけで仕事をする人と、ケア、支援を受ける側の想いを察する人では
仕事の質に、差として大きく表れてゆくと思う
第1ボタンをかけ違えると、そのあと全てのボタンがズレてしまうように、、、。
 
 

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お人柄が一番、大切なスキル

2024-11-28 07:52:13 | 武久の視線
 
倒れたのが44歳、介護保険の第二被保険者となり介護を受けて来た
介護保険の介護サービスを20年以上受け続けている患者、利用者と言う人は
高齢者の場合、寿命からしてもそんなにはいない筈、となると僕はベテラン?
確かに、何人もの医師看護師、療法士、介護士、ヘルパー、ケアマネ、、、と接して来た
形ばかりの人や親身になってくれた人、気があった人、苦手だった人、、、色んな人がいた
職種での違いはあれど、立場や職業を度外視しても介護を受けるベテランとしては
職種などとは関係なく、やっぱりその人の「お人柄が一番、大切なスキル」だと思います。
 
 

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生きた足跡

2024-11-27 09:46:55 | 武久の視線
僕も65歳、同じ時代を彩った有名人の悲報を耳にすることが多くなった
僕の感じでは男性は大体75歳前後を境にしているような気がする、75、、、あと10年
あと10年くらい、いや僕の場合は脳幹出血の四肢麻痺だから、、、
命、死そこに執着はしないが、ただでさえ社会からは切り離れている在宅生活の僕
先が見えて来たこの頃、僕が社会で生きた痕跡は、、、と青臭い疑問に囚われた
家族的には、、、社会的には、、、? そうだ!ネットだ、ネット社会になら僕の生きた足跡が残せる。
 
 

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その人らしさ、、、とは?

2024-11-26 09:55:33 | 武久の視線
その人らしい生活、その人らしさを大切にしたケア、その人らしい、、、
ケア側でよく使われている「その人らしさ」、、、その、その人らしさとは何なんだろう?
その人らしさとはその人の性格だったり、価値観だったり、趣味だったり、、、
その人らしさは対話したり長時間その人と接したり、心との触れ合いがなければ分からないもの
しかし実際は、利用者の心の部分を意識して接している場面はあるのだろうか?
その人らしさを謳うなら
その人の内面的なものに触れなければ、その人らしさなど分かる筈もない
心は家族、介護はプロと言われているけれど
その人らしい介護を「人は体と心とで出来ている」その人の心の部分とも触れ合う意識が大切。
 
 

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嬉しいコメント

2024-11-25 07:56:15 | 武久の視線
ブログ「介護されし者」関して心強く嬉しいコメントを頂いた
役に立てているのか半信半疑だった最近の僕にやる気と元気をもらえました
ーーーーーーーーーーーーーーーー
私は社会医療法人の職員として
病院以外の訪問看護や介護、障害福祉、保育事業等の統括を務めております。
武久さんのブログ『介護されし者』の一部を読ませて頂き、これまでの私共の医療介護サービスが
介護する側の理論で行っていたと深く反省し、目から鱗が落ちる思いです!!
――――――――――――――――
10年余り続けて来たこの僕視線の発信
こんな僕の体でもネットの社会でもいい、社会に生きた足跡を残したくて発信して来た。
 
 

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このブログ

2024-11-23 11:06:52 | 武久の視線
10年前あたりから書き始めたブログ「介護されし者」
当時の記事を読み返すと、今では見方が違ったり、想いが強く出すぎていたり、、、
勢いのままに書いていた、今、読み返し同じことについて書き直しアップしている
新しい視点も交えながら、新たなものも、10年前と同じことについてもふり返り書いている

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覚悟

2024-11-22 10:32:28 | 受容
病気や障害の人を励ます言葉として
明けない夜はない、念ずれば花、、、神は乗り越えられぬ、、、とか聞くけれど
僕が出逢った言葉の中で一番、納得したと言うか、腑に落ちた言葉がある
会津藩の什の掟の一つ「ならぬことはならぬものです」僕のもやもやが一気に晴れた
何の根拠も持たない気休めのような言葉よりも
この言葉が持つ「覚悟」みたいなものが僕には一番しっくりくる
受容と言う言葉があるが、実際には本人の諦めだったり慣れだったり
祈っても泣いてもいじけても、元通りには戻れない
ならないことはならないこと、と覚悟を決めて生きて行こうと思わされた言葉である。
 
 

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癒しの対象

2024-11-21 08:19:35 | 武久の視線
デイサービスに通っていた頃によく耳にした「かわいいばぁちゃん、じぃちゃん」
認知症の人の言動を「うけるぅ~」「おもしろーい」幼児扱い、タメ口なんてあたり前
和気あいあいのフレンドリーな空間、そう思えるのは職員側だけなのだろう
高齢者も認知症の人も懸命に生きている、そう思う僕の目には不快な光景に映った
中途障害、第二被保険者の僕ですら可愛い対象になる場面もあった
利用者は職員の癒しの対象ではないのだ、デイサービスの雰囲気はあの頃と変わったのだろうか?
 

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ケアのゴール

2024-11-20 09:19:36 | 武久の視線
僕の体験から、生き甲斐について
44歳で僕は倒れた、病院で目覚めた時にはまぶた以外どこも動かず声も出ず
決して命が助かって良かったとは思えなかった、逆に生きていてもしょうがない、、、
何を今更と思われるだろうが、、、
万人、世界共通、人には生きがい、生きる甲斐がないと生きてはゆけない
命を助けることも、機能回復訓練することも、ケアプラン立てることも
とにかく何であれケアと言うものゴールは、その人が生きる甲斐、生きがいを感じられることだと思う。
 
 

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