介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

8050問題

2023-11-29 08:31:07 | 武久の視線
私ら夫婦も高齢者の域に入り痛感するが
老いる言うことは体力もさることながら気力も落ちて来ると言うことみたいだ

体力や気力がある頃ならば立ち向かえた困難や問題であっても
加齢と共にだんだんと「あきらめ」の方向へと進んでゆく

全国的に広がると言う8050問題の裏側には、親子の共依存と
互いに抱くあきらめ感、子は社会に対して、親は子に対してのあきらめがあるのだろ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勘違い

2023-11-28 08:24:19 | 武久の視線
患者や利用者の愛想笑いを
笑顔なのだと勘違いしてはいけない

患者や利用者の社交的「ありがとう」を
感謝の言葉なのだと勘違いをしてはいけない

笑顔や感謝とは
信頼関係の積み重ねの上に生まれる感情なのだから


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ものは考えよう

2023-11-26 08:40:50 | 介護を受ける心得


私が働き盛りに倒れ四肢麻痺になったと考えれば紛れもなく不幸。がしかし
脳幹出血という死亡率の高い病から脳に障害も残らず助かったと考えたらラッキー

年老いて他人の世話にならなければいけなくなったと考えれば不幸。がしかし
老いれるまで病や事故などで死ぬこともなく生きて来れたと考えたら幸せ

人には赤子の頃にオシメをしてもらった記憶はない

認知症になり自分のことすら分からなくなると考えたらそれは不幸なこと。がしかし
オムツをあてがう恥ずかしさや色々な葛藤、死に対する恐怖などからは解放される

人生の中で起こることは自分のとらえ方や考え方一つで
不運や不幸になったり、ラッキーなことや幸せになったりするもの。と私は思わされる


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こびへつらう

2023-11-23 10:01:49 | 介護を受ける心得

プライド、自尊心などから介護する側の人には
高慢に映る介護を受ける人もいれば、逆に腰が低くやたらお礼を言ったりする人もいる

これは私も病院や施設などで体験した感覚なのだが、、、

多くの患者や利用者が居る中で
自分の頼んだことが忘れられているでは?後回しにされているのでは?と思ったりする場合がある

そんな不安から介護をする人にこびへつらい
嫌われないようにしよう、頼みごとをしやすいように気に入られよう、と言う気もちを抱く

こんな気もちに戸惑うことはない




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厄介な感情

2023-11-21 10:40:02 | 介護を受ける心得


自分が病気や老いなどで要介護となった場合
惨めさとか情けなさとかの感情の他に生まれて来る感情がある

長年、介護を受けている私でさえたまに悩まされる厄介な感情
それは「ひがみやねたみ」、他人の些細な一言に過敏になり怒ったり傷ついたり

他人から(可哀そう)と思われたくない、とか
他人から「がんばって」と言われたくない、とかとか、、、

ひがみやねたみが強すぎると、自分からバリアを張ってしまう
自分からはれものになってしまうから、他人との関わりの中では気を付けたいものである





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プライドや自尊心の強い人は頼み下手

2023-11-17 10:40:36 | 介護を受ける心得

以前ならば他人に頼むくらいならば無理をしてでも一人でやっていた
しかし、一人では出来なくなる事が要介護と言うこと

~~がしたい、でも他人にお願いするのは気が引ける、、、
ましてや手を貸してくれる人が忙しそうだったら尚のこと話しかけられない

プライドや自尊心の強い人にとっては
他人に頼む、お願いすることにすら葛藤したり心労になったりする

このこととは別として
要介護の患者や利用者と接して来た医療や介護福祉などの専門職の方たち

自分が要介護となった時には
「分かる」が故の葛藤や苛立ちが生じる、と私の発信の経験から確信をする





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平等

2023-11-16 09:49:49 | 介護を受ける心得


介護を受けると言うことは
先生と呼ばれる方々であっても、普通の人であってもみんなが平等

トイレや入浴なども他人の手を煩わせる
要介護となる前はプライベートだった空間にも介助する人が入る

プライドや自尊心の強い人は
羞恥心などの心労、葛藤、自暴自棄などを抱え込むこととなるだろう

介護を受けることの一番のネックとなるのは
プライドや自尊心なのだと、現役の頃から自尊心の強かった私は思います


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●はじめに

2023-11-15 10:41:29 | 介護を受ける心得
介護を受ける心得


大半の人は老いて死を迎え人生を終える

44の時に脳幹出血に倒れ一命は取り止めたものの
四肢麻痺となった私とすれば老いて終えられることは幸せなことなのだろう、とも思う

しかし、老いて死を迎える前には殆どの人に介護を受ける期間が付く
それは自分の意志とは反していても他人の世話になる状態になると言うこと

元気な頃の高齢者ならば大概の人は(現役の頃の私もそうたったが、、、)

「他人の世話になってまで長生きしなくてもいいわ」とか
「シモのお世話してもらうぐらいなら死んだ方がましよ」とか言うだろう

しかし、現実とは自分の思い描く通りに行かないのが常

心外でも介護を受ける立場になった人のために
私の体験や葛藤などを書いた「介護を受ける心得」を書き始めました




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これからの発信

2023-11-14 11:13:42 | 武久の視線
44歳で脳幹出血に倒れ四肢麻痺となり16特定疾患のために
介護保険の第2被保険者となり高齢者介護の中の第2被保険者の生きにくさや

私の視点から見た高齢者介護などを10年あまり手広く発信して来たが
私自身が高齢者と呼ばれる域に入り、高齢者介護に対しての違和感も薄まった

介護を受けることに慣れてしまったのか諦めたのか
人はそれぞれなのだから、そんなに声を上げ発信することでもない気がしてきた

これからは伝わる人に伝わればいいし、そんな頻繁に発信することもないと思った





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消えない疑問

2023-11-11 10:44:04 | 武久の視線
医療介護、福祉支援などなどは誰の為にあるのだろう?

この疑問は患者や利用者、クライエント、、、
いわゆる社会的弱者と呼ばれるようになってから消えたことはない

全国大会~地域段階、学会~施設段階まで有識者や専門職では語られるが
それらを受ける当事者側の参加などは聞いたとも見たことも殆どない





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする