パートに向かう妻に「大変だな、ごくろうさん」とか声をかけると
「おとうさんも動けなくてごくろうさんだね」と言われる時がある
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忙しい人へ「ごくろうさま」の声かけは当たり前なのだろうけれど
ベッドの上で動けない僕なのに「ごくろうさま」、、、
・
確かに寝たきりとか動けないと言うことは
日々、退屈や暇との闘い、みたいなところは確かにある
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しかし、その心労は外見からは分からない
動けないことを労う妻の気もちに、大いに元気づけられる僕がいる。
パートに向かう妻に「大変だな、ごくろうさん」とか声をかけると
「おとうさんも動けなくてごくろうさんだね」と言われる時がある
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忙しい人へ「ごくろうさま」の声かけは当たり前なのだろうけれど
ベッドの上で動けない僕なのに「ごくろうさま」、、、
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確かに寝たきりとか動けないと言うことは
日々、退屈や暇との闘い、みたいなところは確かにある
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しかし、その心労は外見からは分からない
動けないことを労う妻の気もちに、大いに元気づけられる僕がいる。
医療、介護に当事者として僕の気もちを長く発信して来たが
当然、伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない
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長年の発信経験から分かったことは
僕がどんなことを発信したとて、何が変わる医療、介護業界でもない
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さすれば、ここいらで方向を変えてみるのもいい
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変わらない医療や介護業界に対して
患者や利用者の意識改革、逃げ意識のピンピンコロリ崇拝では駄目
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自分の望み通りにポックリと逝ける人はまれ、殆どの人は介護を受ける
さすれば多少のことには凹まない逞しい患者、利用者にならなくてはいけないのだ
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「介護を受ける心得」みたいなものを構築してゆく視点も大事なのかなと。
僕が良く言う「人は体と心とで出来ている」と言うこと
医療だけではなく介護にも同じことが言える、全人的介護を
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介護制度や介助方法、機器や介護用品、体のことに関しては進歩している
しかし実際、介護を受ける者の心労や葛藤、不安や羞恥心とかなどには
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何のケアもフローアップもなく、それらは本人とかその家族まかせ
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人はみんなピンピンコロリを願う
それほど介護される、他人の世話になることは嫌なことなのに
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「介護を受ける心得」みたいなものが何一つも確立されてはいない
それなのに穏やかな老後をとか、その人らしい老後をとかを謳う介護業界。
働き盛りから急に介護を受けるようになった僕と
老いて動作などが衰えてゆき、介護を受ける人とでは違うのだろうけれど
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介護を受けることによって抱く感情は基本的には同じだと思う
その羞恥心やプライドなどと上手く折り合いを付けて行かなければならない
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まず、介護される自分姿を自暴自棄的に否定してはいけない
あなたはこれまでの人生で十分、社会人として働いてきたのだから
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他人のお世話になるのも裸をさらす恥ずかしさも、もの考えようで
人は赤ん坊の頃はお風呂に入れてもらったり,オムツをしてもらったりしていたのだ
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老いると言うことは、赤ん坊に還ることなのかも知れない
ただ言えることは、介護される自分を自分が受け入れなくては穏やかな心にはなれい。
エンディングノートを書いて自分が介護を受けることや
自分の老後の希望や色々な決めごとを明記しておくのは大切なことなのだろうが
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44歳から介護を受けている僕の体験から思う
介護を受けるにあたって最初で、しかも最大の難関は羞恥心やプライドとの格闘
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人は誰でも、たとえ家族でも他人前で裸になるは恥ずかしい
他人にものを頼むのは心苦しいし、自分で出来ないのは情けない
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介護を受けるようになるってことは
こういう感情と上手く付き合って行かなければいけないと言うこと
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このことを認識、意識していないと、たとえ何を準備していようが
穏やかな老後とか、穏やかな最期などとは無縁なこととなってしまうのだ。
このまま社会のお荷物にはなりたくないと始めた当事者の発信
社会からこのまま排除されたくはなく、存在を誇示したく始めた発信
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このまま役立たずにはなりたくなく
誰かの、何かの役に立ちたいと想い始めた発信
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自分の存在を知ってもらいたい発信から、自己満足の発信から
いつの間にか評価を期待する発信になっていた、今一度、武久塾の意義を考えてみたい。
ある若い医師がこんな風なことを書いていた
「人は老いてゆけばみな障害者になる」老いが進行すれば体は自由に動けなくなる
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そんなことを医学的に表現したのかは知らないけれど
障害者の僕には、行政お得意の「高齢者や障害者は一括り」みたいな感じで不快だった
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医師、確かに国家資格を取り
人々の命を救ったり、病気を治したり社会的にも有り難い存在だ
しかし、あたかも患者やその家族の神経を逆なでするような
冷酷無比に感じる見下した口調や態度の医師がいることも現実だ
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世襲議員が一般社会常識外れの言動をするように
世襲医師なども同じことが言えるのではないのだろうか?
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ちなみに議員さんもお医者さんも世間では先生、先生と呼ばれている