たまたま5年前の投稿を目にする
今も伝えたいことと変わらないものだと自分に感心する
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「伝えたいこと」
・
人は老いて死ぬ、、、
あたり前のことなのに、世間では縁起でもない話になる
私も倒れる前までは「嫌な事は考えたくない」
「他人の世話になるまで長生きしたくない」の部類だった
近年はシルバー世代から終活とか
「自分らしい死に方」など元気なうちから
真剣に自分の死と向き合う人たちも増えてきたようだ
とても良い傾向なのだろうと思う
しかし、私は若くして
介護を受ける身になった者として伝えなければならない、
と思っていることがある
・
大体の人は、老いて死ぬ、
という流れの中で介護を受ける
逝く覚悟や準備も大切なのかも知れないが
自分が他人の世話になる、
介護されるということにも覚悟が必要に思う
介護されるということ、なかなか大変なことなのである
それなりの覚悟がないと葛藤や、自暴自棄などに悩まされる
自分らしく終われるか?否か?は
介護を受けている自分の精神状態などが決定する
と言っても過言ではないと私は思っている。
今も伝えたいことと変わらないものだと自分に感心する
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「伝えたいこと」
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人は老いて死ぬ、、、
あたり前のことなのに、世間では縁起でもない話になる
私も倒れる前までは「嫌な事は考えたくない」
「他人の世話になるまで長生きしたくない」の部類だった
近年はシルバー世代から終活とか
「自分らしい死に方」など元気なうちから
真剣に自分の死と向き合う人たちも増えてきたようだ
とても良い傾向なのだろうと思う
しかし、私は若くして
介護を受ける身になった者として伝えなければならない、
と思っていることがある
・
大体の人は、老いて死ぬ、
という流れの中で介護を受ける
逝く覚悟や準備も大切なのかも知れないが
自分が他人の世話になる、
介護されるということにも覚悟が必要に思う
介護されるということ、なかなか大変なことなのである
それなりの覚悟がないと葛藤や、自暴自棄などに悩まされる
自分らしく終われるか?否か?は
介護を受けている自分の精神状態などが決定する
と言っても過言ではないと私は思っている。
私は受傷してから自分が体験したこと、その時に感じたこと
その時々の心の動き、そのことについて私が思うことなどを発信している
季刊誌のコラム、SNS(ブログ、Facebook、X)などに書いたり
時々、自分のオンラインで話したり、他グループに参加したり招かれたり
現在受傷後20年、最初の2.3年は現実と格闘した、その末たどり着いた
何の生産性を持たない私の社会的存在価値とは?「四肢麻痺の私だから出来ること」
コロナ騒動で活動出来なくなるまで10年間続けた園、小中学校の福祉学習
パワリハを止め、その後から本腰を入れ始めた発信活動が10年そして、今
発信活動を始めた頃は承認欲求ではないが私の存在を知ってもらいたいがために
拡散希望みたいな気もちがあったが、今は伝わる人に伝わればいい、と思うようになった。
人間の一生の中で避けられぬものとして挙げられる老病死
ある程度の年齢になれば誰しも考えたことがあるのだろう
人並みに私も働いていた頃、ぼやーとは考えたことがある
老、、、渓流釣りが好きだから里山の川の近くで老後を過ごしたい
病、、、親父の家系は脳卒中、おふくろの家系は癌だったよなぁ~
死、、、枕元には妻がいて欲しい、、、そんなことを考えていた
そこには看護や介護を受けることなど眼中に無かった
いや看護や介護と無関係だった人なら誰でもそうなのだろう
しかし殆どの人は老いて病気になり看護や介護を受けてから死を迎える
老病死には看護や介護を受ける(人の世話になる)ことがつきものであると言う認識が必要