「敬語で話すより、普通(タメ口)に話した方が親近感もわくし、、、」
「介護リフトを使うのは反対です、人をものみたいに扱うなんて、、、」
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「絶対転びません、転んだとしても僕が下敷きになりますから、、、」
「今日も明るく楽しく」、、、どれもこれも医療や介護現場で聞いた言葉
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これらの言葉は医療や介護行為を行う側の主観だけの言葉
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タメ口、僕はあなたの友だちじゃない、人の手の力だと痛みを感じることもある
あなたが下敷きだとしても怖い、明るく楽しくと言われてもそんな気分じゃない
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医療や介護従事者の主観の見方だけではなく
患者や利用者が感じたことや想いなども反映されたケア職の見方であって欲しい。
僕らの福祉学習の始まりはオリジナル紙芝居、園児や児童たちとの関りだった
僕のねらいは紙芝居の内容もさることながら「かわいそう」と思える心だった
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核家族化が進む現代、祖父母の老いる姿や逝く姿を見て感じる機会もなく
かわいそうの対象は物語だったりペットだったり、、、かわいそうな大人との関わりは、、、
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特に幼児期に芽生える「かわいそう」と思える大切さ
園児や児童に「たけちゃん、かわいそう」と言われると嬉しく思える僕がいました。
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子どもを園にあずける、親をデイや施設にあずける
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「あずける」、、、NHKでもその言葉で表していたので一般的なのだろう
子をあずけるから仕事が出来る、親をあずかってもらえるから用を足す時間が取れる
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あずける、あずかってもらうと言う事は生活をしてゆく上でとても大切なことだ
しかし、ニュースにも取り上げられるほどに保育、介護業界どちらも人手不足の低賃金
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一昨年あたりネットやニュースなどで騒がれた「保育園落ちた、日本死ね」、、、
子にせよ親にせよ、あずけられないのは死活問題、なのにあずかる側は人手不足の低賃金
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社会がうまく回ってゆくのも、子や親をあずけられる仕組みがあればこそ
保育や介護の仕事があってこその社会、そこが低ステイタスでは先進国とは言えない
今を楽しむために生きていた、楽しむために働いていた
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そんな僕が44歳の時、脳幹出血に倒れ生死をさ迷った
長い夢を見ていた記憶が残る、あのまま目が覚めなかったら永眠だったのだろう
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人生の途中でも、全うしても人は必ず死ぬ
生死をさ迷った僕とすれば「今」を意識するようになった
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大切なのは今を生きること、今、僕がやるべきことをやり生きてゆくと言うこと
僕のやるべきこと、誰かの何かの役に立てたならと、今の僕を発信してゆくこと