介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

障害説明

2019-01-27 12:20:33 | 武久の視線

私は自分から、私の障害の現状や辛さなどは語らない
聞かれれば話すが、自分から話すことは殆どない

カテゴリを問わず

自分の辛さを「分かって」、自分の大変さを「分かって」、、、
その人の立場や情況を「分かって、分かりますか?」と訴えられても
分かる訳もないし、私は分かって欲しいとも思わない

人は他人事なのだ、他人事だからみんなやってゆけるのだ
世の中の「分かって」全てに反応していては身が持たぬのだ

私は基本的に
「人は、我が身に起こったことしか分からない」と思っている
私は同情を求めたり、分かって欲しいとか求めたりはしない

誰しも
自分のことは、自分しか分からなくて当然なのだから


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かわいそう

2019-01-23 09:21:09 | 武久の視線

私の小学生頃の記憶に今も残る、こんな思い出がある
お祭りの出店に「あん玉」という美味しいものがあった
少年あきおちゃんは好物のあん玉を買うためお小遣いを持ち出かけた

ハーモニカの物悲しい音が聞こえて来た
ハーモニカを吹き前に袋を首にかけた物乞いの片足の帰還兵

あきおちゃんは、あん玉を買うか?おじさんにあげようか?
何回もその場所をうろうろと行き来した
結局はおじさんにお金をあげた、そんな淡い思い出

幼少期に芽生える「かわいそう」という大切な気持ち
三つ子の魂百までも、と、人として重要な気持ちだ

だけど現代にかわいそうなおじちゃんはなかな居ない

車いすになった私は
子どもたちの「かわいそう」になりたい、と思い
オリジナル紙芝居を持って園に訪問していました。


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老いて逝く

2019-01-19 14:29:25 | 武久の視線

身内に不幸があって、、、
大体、日本では、死んだことは不幸と表わされる
しかし、どうなのかな?と人生の途中で四肢麻痺になった私は思う

別に僻んでる訳ではないが、五体満足で老いて全うして逝く
世の中には小児のまま、若いまま、幼子を残して、、、
病気、事故、犯罪などで人生半ばにして無念にも散った命が数ある

その人たちに言わせれば、歳をとる、老いれることすら幸せなのだと思う
確かに認知症や老後の不安などなどあげたらキリがないのだろうが
無事に老いれる、人生を全うできると言うことは

それだけで十分、幸せなことなのだ! と私は思う

話しは変わるが44で四肢麻痺になった私
44歳までは普通に生活していたのだから
それは、それで幸せだったのだと思う


もちろん
四肢麻痺でも家内と老いてゆけることは、とても幸せなことに思っている。

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臨死体験?

2019-01-13 10:41:53 | 武久の視線

これが臨死体験にあたるのかは?なのだが、、、
脳幹出血に倒れた私は救急車で病院に運ばれた

意識不明の状態だったらしいが
医師の声や慌ただしさは聴こえてはいた

そこから睡魔に引き込まれたように眠った、というか
これがそのまま目覚めなかったのなら死だったのだと思う

夢を見た
河原に若くして逝った優しかった義兄、老いて逝った頑固だった義父
口々に「お前が来るには早すぎる」みたいなことを言われた

山の神社の神前で家内を枕元に置き、私は布団で寝ていた
(私は無信仰なれど、住んでる近くには山岳信仰のお山があった)

一週間ぐらいで目を開けた私はICUから個室病室へ移された
この体験を臨死体験と言うのか否かは別にしても
ただ私がこの体験から感じたことは

傍から(医師さえも)意識不明と観えてはいても耳は聴こえていたこと
永眠とは上手く言ったもので眠くなり眠った
目覚めたら睡眠、目覚めなかったら永眠なのだろう

死の不安とか恐怖とかなどは死に直面した時には
感じる、考える、思う余地はなく、ただただ強烈な睡魔だったこと。


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私の思う重度認知症

2019-01-09 10:23:33 | 武久の視線
以前、私がパワリハデイサービスに通っていた頃
重度認知症の人たちと共にユニットというスペースに置いてもらっていた


始めはホールと言う場所に置いてもらっていたのたが
周りの高齢者の方からの質問攻めやスタッフも交えた
世間話しやレクレーションとやらに違和感を感じ変えてもらった

数人の第二被保険者の人もいがパワリハ、入浴などの後は
映画、カラオケ、買い物などに外出していた

私は重度障害者とは言え、普通なら働き盛り年代
同年代が働いている時間帯に映画館やカラオケなんかに行くのには抵抗があった


私には意識が鮮明になるまでの1か月ぐらい意識混濁の時期があった
夢と現実が重なり合う不思議な空間

窓の外に迎えに来たヘリコプターが見えていたり
看護婦さんたちが小人になり行進していたり
ここが大阪の病院と思い込んだり、、、


ユニットで重度認知症の方たちに親近感を感じたのは
この人たちに見えたり感じることって私の混濁時期のようなのかなぁ

失語症と同じで思ったことと口から出る言葉が違うのかなぁ
とか思っていたからなのだと思う。


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