若い看護師さんがYouTubeなどで医療行為の陰洗などに関して
「ぜんぜん平気ですよ」「恥ずかしがることない」とか得意げに話をしている
・
私は思う、それは、あなたは恥ずかしくない、そこではない
陰部を他人前で露出する患者はかなり恥ずかしいはず
・
自分が平気だとかより、患者の羞恥心に寄り添える声かけなどのスキルを。
若い看護師さんがYouTubeなどで医療行為の陰洗などに関して
「ぜんぜん平気ですよ」「恥ずかしがることない」とか得意げに話をしている
・
私は思う、それは、あなたは恥ずかしくない、そこではない
陰部を他人前で露出する患者はかなり恥ずかしいはず
・
自分が平気だとかより、患者の羞恥心に寄り添える声かけなどのスキルを。
終活とかエンディングノートなど死に対するイメージは持てても
介護を受けると言うイメージは持っていない、否、想像したくもない人が多い
・
故に、人はピンピンコロリを願う
しかし、認知症や身体機能的に要介護の状態となってから慌てる当人や家族は多い
・
だから介護保険制度の知識や、介護を受ける心を整えておくなどの
「介護準備」が必要なのだと思う、謳われている介護予防や健康寿命ならぬ、介護準備が。
介護を受ける心得はとは、やはり介護受容すること
他人の世話になるのは情けないこと、恥ずかしいこと、惨め、、、
・
そんな自分を受け入れなければ、葛藤し辛い介護生活になってしまう
辛い介護を受ける生活の先に穏やかな最期などある筈はない
・
諦めや慣れ、覚悟、そして「ものは考えよう」で介護受容をして最期を迎えたいもの。
思考がクリアーな人が要介護となった場合の介護を受けるための心得
・
恥ずかしさやプライドなどに過敏になり過ぎてはいけない
介護をする人たちは、多くの利用者さんの介護をしているプロ
・
介護を受ける側の過敏さは結局、自分だけを苦しめるだけのものとなる。
四肢麻痺となって20年あまり、四肢麻痺を受け入れられたのか?
と聞かれたら私は、受け入れられてはいない、と答えるだろう
・
四肢麻痺、動けない体は、受け入れには重たすぎる
しかし、受け止めることなら出来る、受け止め妻との日々を送っている
・
私は生涯、四肢麻痺を受け入れることはないだろう
受容、、、それは私にとって「慣れ」と「諦め」、生きてゆくために受け止めること。
40代、、、このまま何も出来ない役立たずでは終わりたくなかった
社会の、誰かの何かの役に立ちたかった、社会での存在感が欲しかった
・
私にも出来ることでは嫌だった、私だから出来ることで社会とつながりたかった
そんな想いが障害を通じて、子どもたちの未来に関わられる福祉学習に繋がった。
その日、突然思った、受容の神でも降りたのか
・
(何かが変わるのならいくらでも愚痴って暴れるけれど、、、
愚痴って暴れたとて、変わることってある?、現実は何一つ変わらないのだ)と思えた
・
逆に家族を壊してしまう、惨めになると言う悪影響ばかりなのだ
そんな思いから、私の活火山は休火山へと変わった
・
今となれば火口にできた湖に波が立つ日がたまーにある程度のもになった。
平静を装っている在宅生活なれど、毎日のちょっとした苛立ちや
虚無感しかない自分、自暴自棄、、、それらのストレスにより月/1ぐらいには爆発をした
・
妻にあたるのは当たり前、動く左手で傷つくほど頭や顔をかきむしったり、、、
夜中に叫んだり、頻度は落ちて行きながらも2年ぐらいは続いたのだろうか、、、
・
暴れたある日、泣きながらも私の介護をする妻を見ていて思った
私がこんなんでは妻を壊してしまう、守ろうとしてきた家族を壊してしまうと。
ベッドわきの窓から見える通学する子どもたち、出勤する車の流れ
独りベッドにいる私、入院中には感じたことのない、置いてけぼり感と言うか、、、
・
生命保険にも入っていた、住宅ローンも免除された
死亡に準ずる状態、重度障害、、、書類的には死亡と同じ扱い
・
家計的には助けられたが、死亡と同じと言うことが私の心に刺さった
制度的にも重度障害者は手厚く守られる、家族を守って来た私が社会に守られる立場
・
自分の社会での存在意味は、葛藤と共に私にも出来ること探しが始まった
否、重度障害者の私だから社会に対して出来るとが必ずあると、迷路の中を長くさ迷った
様態も落ち着き、これ以上の目覚ましい機能回復は望めない固定状態と判断され
9か月の入院生活を終えた、病院では受容した、しないの意識はなく入院生活を終えた
・
自宅に帰り、病院の患者と言う肩書がなくなってからが本当の闘いだった
ベッドの上での社会からの孤立感、疎外感、存在価値、、、私は社会のお荷物?
・
自宅に帰ってからが「受容」と向き合う修羅場だったのだ。