私が倒れ四肢麻痺になったのが44歳
働き盛りに倒れハッキリと現実を把握したのが1か月後ぐらい
・
働き盛りから四肢麻痺に一変
受け入れると言うよりも、始めは絶望感と喪失感、不安などとの闘い
・
受容などという言葉も知らなかったし、とにかく頭は混乱状態
カウンセリングなどとは無縁、患者一人で抱え込むしかなかった
・
院内にはそれなりの部門があるのだろうけれど、、、声かけなどは何もない
私が倒れた20年前も現在も、患者の心労は患者が抱え込むしかないみたいだ。
私が倒れ四肢麻痺になったのが44歳
働き盛りに倒れハッキリと現実を把握したのが1か月後ぐらい
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働き盛りから四肢麻痺に一変
受け入れると言うよりも、始めは絶望感と喪失感、不安などとの闘い
・
受容などという言葉も知らなかったし、とにかく頭は混乱状態
カウンセリングなどとは無縁、患者一人で抱え込むしかなかった
・
院内にはそれなりの部門があるのだろうけれど、、、声かけなどは何もない
私が倒れた20年前も現在も、患者の心労は患者が抱え込むしかないみたいだ。
老いて要介護の身となり、介護を受けるようになった時
認知症や老もうなどで意識がぼやけている状態なら緩和されるのだろうけれど
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思考がクリアーな人、まして
世間で先生と呼ばれる人たちやプライドが高い人など
医療、福祉従事者などの人は、分かるが故の歯がゆさや葛藤が生まれるだろう
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そんな場面のために
私は「ものは考えよう」的な介護を受ける心得を記そうと思いました
うる覚えなのだが
以前、今は亡き野村監督が奥さんを亡くした後のやり取りで
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「私が先に逝って妻を独り悲しみに耐えさせるよりも
私が独り残され悲しみに耐える方がいい」みたいなことを言っていたような
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私の妻は三姉妹の末っ子で淋しがり屋だ
同い年、44で倒れた私を二十数年ずっと介護をしている
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持病を抱えながらも懸命に介護する彼女の、私に対する願いは一つ
「お父さんは私より早くいなくなったら駄目だからね、淋しいのは嫌」
・
私もふり絞る男気で「母さんを淋しい思いはさせないよ」
こればかりは約束は出来ないけれど、頑張るつもりだからね。
病気を治療するのではなく
人を治療する医師であって欲しい
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患者を看護するのではなく
人を看護する看護師であって欲しい
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高齢者のお世話ではなく
人の介護ができる介護士であって欲しい
・
機能回復訓練だけではなく
患者の心もリハビリできる療法士であって欲しい
患者や利用者との関りを
自己満足的、感動的に話たり書く専門職の方を多々目にする
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決して感動するのがいけない訳ではないのだが
そこには専門職としての視点はなく、自己陶酔の世界だ
・
専門的視点のない、ただの自己満足だったり感動なのだ
専門職にとって患者や利用者は自己満足、感動するための対象ではないのだ
世間やケア職側から見れば美談や感動話にもなったりもしますが
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しかし、在宅介護生活とは
介護している家族や、介護されている当人は多くの葛藤を抱える日々
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山を眺めるのと、山を登るのとでは大違い、みたいな感じなのかな
たとえ理不尽な不幸に出会ったとしても
そのことと折り合いをつけ、自分の中へと落とし込まなくては前には進めない
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生きてゆくってことは
折り合いをつけながら進んでゆく、と言うことなのかも知れない ぶく
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専門のことだけでなく、人としての学びも大切 ぶの字