82歳からの旅

私の記録

 ~ 戦争をしない国・ 明仁天皇メッセージ ~

2020年07月31日 12時41分02秒 | 読書

            令和2年7月31日金曜日

  後輩の先生から頂いた図書券で買った、素晴らしい本を読みながら?

  この本は明仁(平成)天皇について、「文」矢部宏治「写真」」須田慎太郎

 発刊小学館(2015年)の本です。

  この本のあとがきに、矢部宏治がなぜこの本を書いたのか、が書かれてい

 ます。‥戦後日本最大の矛盾である「沖縄問題」と真正面から向かい合い、  その苦闘のなかから「声なき人々の苦しみに寄り添う、」という、象徴天皇のあるべき姿を築きあげて行った明仁天皇。其の平和への思いと珠玉のメッセージの数々を、写真家・須田慎太郎の美しい写真と共に読者に提示しています。

 90歳を超えた私に、こんな素晴らしい本を読ませて下さった、心優しい後輩に巡り合えて最高の幸せです。有り難う!!

 

 

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流行り唄五十年 ~ 唖蝉坊は歌う

2013年11月12日 20時43分33秒 | 読書

           11月13日 火曜日    

 流行り唄五十年 この本の作者は「演歌師 唖蝉坊 」の長男の添田知道氏・小説 教育者の作者からの依頼を受けて、音楽家の小沢昭一氏が解説した本です。
   此の本の中の一部を
  ストライキ節
         自由廃業で郭は出たが ソレカラナントショ
         行き場ないので屑拾い ウカレメノ ストライキ
           サリトハツライネテナコオッシャイマシタネ

         高利貸しでも金さえあれば コリャマタナントショ
         多額議員でデカイ面 アイドンノー ジスライキ
           サリトハツライネテナコトオッシャイマシタネ

         星をさされて千枚張りの コリャマタナントショ
         面も少しはショゲかえる シューワイノ シリワレテ
           サリトハツライネテナコトオッシャイマシタネ

         工事ごまかしお金を儲け コリャマタナントショ
         芸者ひかして膝枕 シューワイノ シリワレテ
           サリトハツライネテナコトオッシャイマシタネ

  これに類似した唄を 唖蝉坊は 流しで風刺していたのです。これらの唄を、唄を通して庶民の笑いと涙を誘い,明治・大正時代に芸能の原点を貫いていったのです。

  私は解説者の,小沢 昭一氏の解説を読み,解説者もそのようにいっているのではないかと思いました。この本の中には「小沢 昭一氏」が歌う 唖蝉坊 
    1 金金節  
    2 メドレー のんきな父さん(のんき節)     

      3 メドレー ラッパ節 ~ どんん節の C D も入っています。
       此の本を読むと,作者の心や解説者の心が良く伺えるような気が致  
        し ま す。  これは私の独断ですが……    
 


     

コメント (4)
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  長谷川 伸作 ~ 瞼の母 ~ と 戦後の母 

2013年02月22日 20時30分34秒 | 読書
       2月22日木曜日  
 「瞼の上下をぴったり合わせ、思い出しゃあ絵で描くように
見えていた。」
 産みの母を恋い慕う番場の忠太郎 しかし忠太郎が幼い時
に、生き別れてようやく出会うことの出来た母おはまは
 現実の生活を失いたくないあまりに 心ならずも冷たく息子
を斥けてしまう。 

 幼い時から抱き続けた理想の母を「わざわざ骨を折って消し
てしまった。」嘆きが、ひいては 母の怨みが忠太郎を襲う
 「これ程慕う子の心が親の心には通じねえのだ」「おっかさん
そりゃあ恨みだ あっしは怨みますよ。」

 しかし乍ら怨みを抱いて去っていく忠太郎に、未練が生じ涙に
くれつつ息子の後を追う母は、まことの母である。

 
  闇夜に向かって「忠太郎ヤーイ」と叫ぶ母の哀しみ「やっぱり
お母さんだ」
 この母の叫びに、忠太郎の怨みもはれ
 ① 理想化された 母への一体感     甘え
 ② 母による その裏切り        怨み 
 ③ 怨みを超えた 許し 通じ合い 

 忠太郎 
 「こう上下の瞼を合わせじいっと考えりゃ逢わねえおっかさん
のすがたがでてくる それでいいんだ。「逢いたくなった俺あ瞼
をつぶろうよ。」本物の母の姿を瞼に刻み込んで去っていく忠太郎
 
 戦後 森村 誠一氏の「 人間の証明 」 の中の母は あらすじ……
 
敗戦…米軍進駐…米国文化の圧倒的進入によって踏みにじられた
日本の母の悲劇を主題
 黒人の夫、混血の息子と生別した母、
  はるばるニュウヨークから母を恋慕って訪れたジョニーを、現在の
 幸せの為に刺そうとする。
  
  その母への怨みを、母の哀しみを察して許そうとするジョニー
 息子への愛に目覚めて全てを告白する母   
  
  ジョニーは死に、母は破滅していく。子殺しまで犯そうとした母
 のエゴイズムと母への思慕の空しさが強調される…

  『人間の証明』は日本的瞼の母はもはや生きてはいけない事を…
 いや既に破滅してしまったことを訴えているドラマではないか
 
           ~ 小此木 啓吾氏 ~ の文章を読んでの
 古い記録の中から………探し出して……… 
  
 
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 ~ 大晦日 ~ 

2012年12月31日 08時34分43秒 | 読書
  12月31日月曜日    
 田舎で育った私は大晦日(年の暮れ)と言えば、子供の頃は一年
の境目であると思っていました。
 どんな境目かと言うと、越えなければならない「多くのものが在っ
て」、それを超えると新しい年になる。
 新しい年の初めのは、新しい履物(下駄)を履いてお宮参りをする。
それからが言うなればハレの日の生活でした。
           ………………省略………………
 それで私の胸の中は、嬉しさで満たされていました。それに反して
周囲の大人はとても忙しそうでした。
 そんな気持ちのするのが、大晦日でした。
 そこで今日は「催事百話」~ムラとイエの年中行事~の中から、大
晦日について改めて調べて見ました。
                   大晦日
 大晦日の夜、神社では年越しのお祓いがある。寺院では除夜の鐘
が百八回鳴らされる。百七回は年内に、最後の一回は新年にと言う
説明もあるが、要するに百八つは人間の煩悩の数だとされている。
 鐘の音が人間のもろもろの悩みを追放してくれると言う仏教の方か
らの説明である。
 この夜、年越しそばを食べる習慣は,縁起かつぎをする江戸商家か
ら始まったといわれる。そばは幸運が永続きするようにとの俗説によ
るが、むしろ以前はハレの御馳走であって、これを祖霊に供えていた
名残になるだろう。

 大晦日の夜の火祭りは神社でしばしば行われる。何れも新しい火と
古い火とが交代する趣旨を込めたものである。

 この日に古い年は追放されるのであり、新年こそは素晴らしい世界
であって欲しい・・・・

 




         
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 「母」 高田好胤著 ~父母恩重経を語る~  元薬師寺管主(故)

2012年10月24日 18時14分52秒 | 読書
10月24日 水曜日 晴れ

三々五々…のご先祖様

 私たちはみんな、お父様、お母様から生まれてきました。お父様、お母様もまた、ご両親から生まれてこられました。
 
 こうして25代(仮に一世代を30年として750年)さかのぼりますと、私たちのご先祖の数は3千3百54万4千4百32人になります。それが28代さかのぼりますと、何と2億6千8百万人になります。 (25代さかのぼると・3千3百54万を三々五々と覚え54万4千4百32人と覚える)

  ですから、自分の生命は自分だけの生命だと思うのは現在人のとんでもない思い上がりであります。
 私たちの生命はこんなに大変な数のご先祖さまが、今私たち一人一人の生命になってくださっているのであると言う事を自覚せねばなりませぬ。・・・・略・・・・
 
 大変な数のご先祖さまの喜び、悲しみ,その他…私たち一人一人の血の中に流れて、そのお蔭で生かしていただいているのです。
 
 こうしたご先祖に対する私たちの先祖孝行の道が「まつりごと」であります。そこで一番身近な先祖であるお父様、お母様に感謝の誠を捧げる姿、が親孝行であります。
 父母も またその父母も 我なりき
   我を愛せよ 我を敬せよ    二宮尊徳翁 此の歌のように、ご先祖を敬愛することは、実は自分自身を敬愛することになるのです。
          父母恩重経の一部抜粋  元奈良薬師寺管主(故)ゆっくり何回も読んで自分の家の先祖の供養に少しでも役立てばと・・・・・     
  
コメント (1)
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