82歳からの旅

私の記録

 ~ 春はもうそこまで ~

2020年01月25日 13時46分29秒 | つぶやき

        1月27日月曜日   

 もうすぐ立春、後期老齢者には春がまちどおしい。部屋の中は

底冷えがして、貧乏ぶるいをしそうです。でもうちの庭には、めじろ

が来て木の枝にさしたミカンの実をおいしそうにたべている。

 少し前にはヒヨが来て目白にと思ったみかんをすぐに食べてし

まう。ヒヨは体が大きいがくちばしが小さいので、小鳥のえさを

たべるのです。

 メジロが来ると少年時代に、メジロとりをしたことを思い出して

なつかしいのです。それと共に、春を知らせるのです。

              

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一つの給料袋  生活が

2020年01月14日 17時54分10秒 | 生活

 令和2年1月14日火曜日

 手取り1万3千円位の時に結婚してから、あしかけ4年になる。

「1つの給料袋では生活がむつかしいよ。」と言ってくれた友達

いたが、私は共稼ぎの家庭生活に、魅力を感じることが出来

なくて1つの給料袋でスタートした。

 今手取り2万円といくらかで、親子3人暮らしをしている。全

ささやかな暮らしをしているが、今はやりのレジャーに深入

りしようものなら、、忽ち家計は赤字を出してしまう。

 それでも大きな貯金もなく、借金もなくやってきたわけだが

のあたり先生の給料の「限界」と、言うものが有りそうだ。

 世間では先生は共稼ぎが多いし、それが常識の様になってい

る。

 それはそれでいいとしても、もっと「1つの給料袋に」関心を

もってほしい。

 1つの「給料袋」で生活していくには、扶養手当の増額と、住

宅手当の支給、それに通勤手当の増額が必要である。

 毎朝妻の見送りを受けて学校に来るのは、気持ちの良いもので

ある。毎夕打ち水した玄関に1歩入れると、1日の疲れが吹っ飛

んでしまう。此の満足した意識が1、「1つの給料袋」から味わえ

るのも現実なら、親子3人のレジャーが計画倒れになるのも「1つの

給料袋」「なるが上、の現実である。「先生は共稼ぎをすれば

生活ができる。」から「先生は1つの給料袋でも生活できる。」と

言うっ状態に進めて行きたい。」これから「1つの給料袋で結婚」

しようと考えている先生の為に。       

              

昭和36年11月の記事です

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 喜びも、悲しみ

2020年01月08日 13時02分11秒 | 歴史

       令和2年1月8日水曜日   

私の若いころを整理していると、喜びも悲しみのが出て来ましたので

その中の、喜びを紹介いたします。 題目・ニつの給料袋・

 夫は高校の教師で、私は中学に勤めているから家に持って帰る給料袋は

二つあるということになる。が私は夫の給料の中身はいくらあるかは知らな

いし、夫も又私の中身がどれだけあるかは知らないという奇妙な夫婦である。

 これは結婚してからもう九年になるが、ずっと続いている。かえって私の

同僚の方がよく知っている。主人の手取りが2万5千円、あなたが1万5千

円位だから4万円は超える。ちょっとした文化生活は。、出来るはず。

 と言うのだが私の家にはテレビはないし、電気冷蔵庫もない。昭和の初め

の頃のラジオが1台と言う有様です。 

 其の原因を調べて見ると、夫は給料の大半は書籍とアルコールに使うらしい。

家には1万円も入れればいいほうで有る。本だけは「蔵書数1千冊に使い一寸し

た図書館だな」と彼は言うのである。

 私の給料の大半はカンバスを買うのと、絵の具を買うのにかかってしまう。

絵が増えて玄関には置きどころがない。

 東京の銀座画廊に送ってグループ展をした時は100号クラス書いたのでカン

バスと絵の具で1万円・運賃が2千円画廊に払う金が約7千円 東京2週間の滞在

費で1万円。今年の夏は2万9千円・(2か月分の給料が)ぽいと消えてしまった。

 勿論主人がヘソクリを出してくれはしたが、私の家は養母が経済を受け持って

やってくれている。

 二人で月に2万円位は入れるのだが、此の頃は主人の文学がチョイト金になった。

身長12月号1の「西の京」の原稿料が3万2000円税金をひかれて2万9千

600円が臨時収入である。彼はその中からたった2千円を小遣2と言って私に

くれた。・・以下省略致します。

 これは私が若い時に、組合の青年部機関誌の編集部長をしていた時の組合員の

投稿したのを此処に書いたのです。つぎには一つの給料袋を書きますのでお楽し

みに・・・焼いて捨てるのには惜しかったので・・・昭和37年の頃です

           

 

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 ~ 令和の今年もよろしく ~

2020年01月01日 17時45分07秒 | 生活

    令和2年1月元旦水曜日 

 皆さん新年あけましておめでとうございます。今年

こそ幸せな年になることを、望みながら皆さんどうぞ

よろしくお願いいたします。・・・。

 私は今年九十歳を迎え家内も米寿を迎えるめでたい

年であります。それで正月の祝いとかねて子どもとお

いをしようと思っていました。

 子どもや孫も来るので、と思っていたら長男の孫娘

は仕事で来れないし、長女の子の甥はアルバイトでそ

の日から仕事で別府に帰るのでした。

 ではまたの機会にと、三家族で冷和の正月を祝う事

にしました。 

 雨も降らず応接室で箱根駅伝を横目で見ながらの、お

正月のお祝いになりました。

 老齢の私たちにとって、孫の成長が一番のお祝いであ

りました。 2日がかりの年初めの、ブログになりました。

 昨年は橋本首相が、国会で総理推薦の桜見の参加者?を?、

知らない?覚えていない?の蚊答弁して・・・

 日本中の人が、総理大臣のごまかし答弁に、あきれて心を

引き締めて怒こっていました。私に来ました年賀状の中に

腹が立ってしようがない、と書いてきた人がいました。

そのとうりだと思います。

 今年こそ全国民が、腹を抱えて笑えるような年になります

ように、何とか皆でしましょうよ。しましょうよ。これは

変人の願いでしようか、一ッパンの庶民の願いです。

 T・V、新聞では朝日新聞がこのことを真剣に報道して

いましたが、他の新聞には私の目が悪くて見えませんでした。
 

 

 

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