82歳からの旅

私の記録

ブログを書く様になって

2012年10月31日 16時00分22秒 | 日記

          11月2日金曜日晴れ

     ブログを書くようになって
  毎日ブログを書いていと、自分が段々見えて来ます。どんな私かと言うとしたい事の欲張りです。
 あれもしたい是もしたいが、時間が限られている事です。何か一つ完成させようと思って始めていると,他のしたい事に支障が来ます。
 一つ一つきちんとし遂げて、次の事を始める、こんな初歩的なことが出来てないのです。それで私の机の上は何時も、三つ四つの仕事の途中が整理しない儘になっているのです。そうしてし始めようとすると、物がないのに気付いて探し始めるのです。
 こんな私を修正しないといけないのですが、これが中々難しいのです。ブログを書き始めたのに、他の用事が出来てそれをしている中に時は過ぎていくのです。
 11月2日今日は馬肥ゆる秋晴れの良いお天気です、朝から畑の草取りに精を出して朝食をいただきました。とてもおいしかったです何を食べても美味しい[不味くとも美味しく食べれよ、客の身分で」こんな言葉のいらない味覚の秋です。
  今日まで生きてきた事を諸々に、心を込めて感謝いたしましよう。

         

















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の私を育てた父母と・多くの人や故郷に感謝を

2012年10月30日 20時45分57秒 | 教育

        10月30日火曜日晴れ
    父の背を見て学んだ 
  私が幼い頃叱られた記憶は沢山あります。何か悪いことをしますと、幼児の時は大黒柱にしばられ、小学時代は戸袋に入れられました、其の様に子供の躾にはとても厳しい父でした
  ところが中学生になってからは、叱られた記憶はありません・又お説教された記憶もありません。私は子育ての最中には、此のことに少しも気付きませんでした。 
 今振り返って見ると、私が作った草野球のチームに入っていた人達は、皆恵まれた家の子供でした。その子供のチームの監督を兼ねて、野球を教えていたのです。戦後の貧しい農村の子供達の、たった一つの娯楽として野球があったのです。   いつか村の祭りに行った時に、野球をした事のない子が私に「武ちゃんは英ちゃんや、秋ちゃんばかり可愛がって、野球を教えていたね。」と・・言われた事がありました。その子達も、野球がしたかったのだと思いました。   
    そんなつもりでは、なかったのですが、・グローブもミットも買えない時に、「自分で作ったり又買ってもらった子のグローブを」皆で手に付けたりしました。 
 中学生・高校生の頃は、家の手伝いは殆どしませんでした。近所の子供を集めて野球のチームを作り、其の練習や試合に熱中していました。近所の同年輩の子供は、皆家の仕事を手伝うのが当たり前でした。
  今振り返って私の行動を許してくれた、父の考えが不思議で成りません。朝は早くから家を出て牛の餌の草刈をし,田圃の見回りに行く・汗だくだくで帰り、汗を拭き乍朝ご飯を食べる。そんな父でした・・・・ 
   父は子供の時に、知り合いの家に下宿し、その家の雑用の手伝いながら、豊津中学に入学しました。それがきつかったのでしょう、やめて帰って来たのです。其の事が父は生涯悔しくてたまらなかったと思います。 
   そのことを、父から聞いた事はありませんでしたが、子供には勉強だけは、させたかったのでしょう。お父さん御免なさい・・・・ 
   私の子育ても父のした様に、子供の幼い時は厳しく育てました。中学生からはそんな時に、即刻に私が子供と一緒に出かけて行って、お詫びしました。 
   父の厳しい躾を補ったのは、母でした。母もお詫びの言えないような悪い事をした時には、伯母が来てお詫びを言ってくれました。 
   私の家は私が生まれた時に,伯父の家から分家して同じ屋敷内に住んでいました。それまでは同じ家に住んでいて、私は伯父の家で生まれたのです。伯母には子供がいなかったので私を、大変良く可愛がってくれました。 
 伯母は夕食時には、毎日の様に私の内に来て、私たち兄弟をあやかっていました。それで直に私の家の、中の様子が判ったのでしょう。
 父から叱られた時、母と伯母が私に変わって,詫びてくれました。思えば82年間の性格形成には、私が意識してない、多くの人の助け(支え)が有ったのです。恥づかしい話ですが82歳になって、この此のブログを書いて、初めてはっきりと意識しました。

 父・母・伯父伯母・そして私を育ててくれた多くの人、それに楽しく遊んだ懐かしい故郷の山や川に、心から感謝致します。

 有難うお父さん・お母さん・多くの人よ 有難う我が故郷の山や川よ


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

源ちゃん・部屋で転んで怪我

2012年10月29日 21時20分09秒 | 日記

10月29日月曜日晴れ
今朝明け方床の中で「電話のベルが鳴っているような気がした。」夢ではないかと思ったが起きて電話をとった処が電話はもう切れていた。 間もなく又ベルが鳴った、おむすび苑の職員からの電話でした。

 おむすび苑の弟が「夜部屋で転んで怪我をしたので・小文字病院で治療を受けています。」との事であった。朝の四時ごろである。 すぐに着替えて病院に駆け付けたところ、治療は終わり会計で待っているところでした。

  怪我の状況は、右額の眉毛と目のあいだを5センチくらい切っていました。部屋の入口のドアの取っ手に倒れる時に当たって怪我をしたでしょう。と言う事でした。

 お金の支払いを済ませた処に、医師が来て「今日もう一度診察するので、三時に来てください」と言い2~3の注意をした。
 おむすび苑の職員に、お礼を言って私も一緒におむすび苑まで行った。そこで怪我の現場を確認して、お世話になった施設の人に丁重にお礼を言いました。
 おむすび苑の職員が私に「午后の診察には来ますか?」と言ったので、「私の行事予定を見て、電話をいたします」と返事をしてから家に帰った。家に帰って行事予定を見て、おむすび苑に電話で、午後行きますが何処に行きますかと尋ねました。すると
「病院の受付に、三時まで来てください」との事でした。

 そこで午後二時過ぎに用意して、新小文字病院の受付に行って待っていました。処がおむすび苑の方からは、三時過ぎに電話があり、…連絡の行き違いが分かり・・・「すぐ行きます」と言って、三時半過ぎに遅れてきました。・・  結局診察は五時を過ぎて、やっと終わり、薬局で薬をもらったのは5時40分を過ぎていました。

  それからおむすび苑迄、弟を送り2~3の打ち合わせをしてから、6時半の予約の病院の治療に行った。 今日は突然降って湧いてきた仕事の為に、何とも言えない大変忙しい一日であった。
  こんな災難もう結構いいかいな、そうして待ってるぜ

どっこい素敵な良い知らせを?

 

 

                      

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風橋夜泊  

2012年10月28日 21時37分25秒 | 漢詩
10月28日日曜日晴れ
 
    漢詩           日本読み 
 
  月 落 烏 啼 霜 満 天    月落ち 烏啼いて 霜 天に満つ
 
  江 楓 漁 火 対 愁 眠    江楓  漁火   愁眠に対す
 
  姑 蘇 城 外 寒 山 寺    姑蘇城外     寒山寺 
  
  夜 半 鐘 声 到 客 船    夜半の鐘声    客船に到る

 月は沈み烏が泣いて 夜の霜があたりの空気を 寒々としたものにしている 

 川岸のフウ(カラカエデ)の木と漁船の漁火が 愁いで眠れない旅人の私の目

 にうつる 姑蘇城外にある寒山寺の夜中につく鐘の音が 船にも聞こえてくる

  中国の水の都 蘇州観光旅行をした時、楓橋夜泊の詩の江の畔に立って詩

 を朗読 しました。何となく詩の状況が浮かびました。 近くにある寒山寺の

 鐘の音が、川に浮かぶ船にも 響きわたり鐘の音が聞こえて来るような思い

 をして、見学しました。

  川辺には観光客相手のお土産売りの商人がいて、それを取り締まる警官が

 来ると、商人は 高い商品を全部川の中に投げ捨て、何処かへ行ってしまいま

 した何か夢のような一瞬でした。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わった友人

2012年10月27日 18時51分41秒 | 友人
 10月27日土曜日晴れ
 
 私の親しい友人の中の一人にN君がいます。N君とは大学の時に大学寮で出会いました。
 
 彼は良家の長男で好人物の学生でした、彼が布団の質入れする時二人で担いで質入れを手伝いました。それからの彼との付き合いは緊密になり、彼女のラブレータを代筆したり等々色々しました。彼が結婚する時には結婚式の進行もしました。  

 彼の人間性溢れる楽しい武勇伝はありますが、これ位にいたします。

  大規模校の校長を退職して後、田舎の父母の家を継いで遠く離れていますが私の大切な友達の一人です。

 いま彼は健康を害して不便な生活をしていますが、私は手紙を書いて何時も励ましています。中秋の名月を眺めて「月・雪・花」の時・「明月を眺め酒を」寒い冬「美しい雪を眺め酒を」「春爛漫に咲く花を眺め酒を」心行くまで飲める健康を早く  早く元気に

 酒の好きな彼は手紙を見て若いころの自分を想い浮かべ、勇気づけられて喜びの返事の電話がすぐきます。もっと親しいM君がいましたが、今は天国で気持ち良く永久の眠りについています。  
 私の性格や人間性は彼らから、多く学び良いところを身に取り入れました。 許してね 御免なさい。          
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする