2月23日日曜日
2013年1月18日のブログで 「~小さな心の金メタルを~」を紹介
致しました。文の内容は新卒で一年間勤務した先生の,年賀状に「萩ヶ
丘小学校の一年間は,私のダイヤモンドです。」と有りました.其れでそ
の先生の心の目で見た,萩小の児童のようすを纏め「60周年記念式の
祝辞に」したのです。
その先生に「60周年の私の祝辞の原稿を届けた処」お礼状に次の様
なお手紙が届きましたので,追加してお知らせいたします。
・・・さて私の一文に心を留めて頂き,萩ヶ丘小学校60周年記念式
祝辞に引用頂きましたこと、大変光栄です然し戸惑いも隠せません。
新規採用の青2歳にもかかわらず、6年生40名の担任をさせて頂きまし
た。心温かい先輩方に囲まれて、かつ心の広い保護者の理解に支えて
頂きました。
其れにもかかわらず、同校区にはなんの御恩返しもしないまま退職し
て「大変な事をしてしまいました。」後の祭りです。・・・
それでも・・・平成10年秋には,十数名の有志でクラス会を開いてく
れました。此の様に輝きを失わない思い出が、「ダイヤモンド」だった
と言う表現を自然使ってしまった次第です。
然し此の度の校長先生のお便りのお陰様で,私なりに「ダイヤモンド」
の意味が深まりましたので,改めて感謝申し上げます。
当時萩ヶ丘小6年生は「縦割り活動にどの子も積極的に取り組んで
いました。委員会活動でも、クラブ活動でも、下級生を思いやり,かわ
いがる姿は実に輝いていました。
※ 縦割り活動とは
当時1300名余りいた児童を、37のグループに分ける。当時
37学級有ったので、37にしたと思う。そうして昼休みは一緒に、
遊ぶ校舎の敷地を幾つかにわけて順番に遊ぶ場所を交代する等。
どの集団も1年生から6年生まで、どのクラスの児童も入って上級
生が下級生をいたわり,一緒に仲良く遊ぶ時間の総称。
ところで、この度先生のお名前でPC 検索をしましたら,「北社研
だより」の,北社研会長・小川 亜弥子先生の文章が一番に出てきま
した。其の中で社会か全国大会北九州大会の、OB会発起人として
先生の名前が・,当時の萩ヶ丘小6年生の姿と重なりました。
OB会について
OB会が出てくることについて,一部意見があるようですが,全国
大会とも成れば,現役の先生だけでは出来ない部分があるのです。
現役の先生は色々の職務があって,僅かですが資金の援助等も
OBが・・・・・・
・・・ ・・・以下省略 ・・・ ・・・
此の様な身に余る便りを頂き、呆けかけた私も ただただ感謝の気
持ちで一杯です。有り難う・・・
他紙の
2月21日金曜日
体の調子が悪くて整骨院に、治療に行っている。腰椎の悪いのは
ずーと以前からで整形外科で、レントゲンで見て貰っている。が
医者の見立ては加齢によるもので,見放なされた形であった。
其れが軽い内は良かったのですが,調子が悪くなってきて中々歩
くのがきつくなって来た。其れで整骨院に、治療に行っているのです。
整骨院の先生が問診や治療器具等によって,体の異常や悪い原因
を見付けて、其れにあった治療をするのです。そうして先生の指示
を理解した患者(自分)で治そうと努力する行為をして行くのです。
私は先生の説明を聞いて,体の各部に異状の有ることを知 した。
(三つ目の整骨院で此の事を )自然の姿の写真を何枚か 撮って,
其れを正常な形の上に重ねて詳しく説明してくれました。
そうして私が、治療にどの様に取り組めば良いか、示してくれま
した。
その1例を
・ 関節の働き・動き等・・使わない為に、関節の働きの機能
が十分でなくなる。又は衰えてしまう・・・
機能しなくなった部分を,他の部分で補う.其の為に
姿勢が崩れたり,筋肉に別な負担をかける?・・・・
・ こんな事らしい ・
腰痛の治療をと思って、整骨院に治療をして貰っている。整骨院の
先生は「あなたの体の悪い処を治す為に」私も手伝って」治し
しょうと言う。
体の奥の方の筋肉の凝った部分をほぐす為に,特別な電気器具で
治療わし、先生の体のほぐしで約1時間頑張っています。
足が幾らか強くなり,歩くのが幾らか楽に成って来たようです。
2月18日火曜日
先日のブログで、油揚の事を書きました。其れに幾つものコメントを
下さっている事に気づきました。其れを読みながら「母の事を思い出し
ました」其れともう一つ隣組での「お葬式の事もおもいだしました。」
では初めにお葬式の事を ~ 思い出す儘に ~
その 1
葬式が終わった後に,隣組で「御齋」をします。其の時の食べ物に,
豆腐や‥豆腐を上げて作ったあぶらげなどで作った「精進料理」で皆を
おもてなし」するのです。
その豆腐作りを良く母が作っていました.人数が多いので大変でした。
その 2
父が亡くなった時に私の職場の皆さんが沢山、参列して下さいました
何日かたったある日に,「田君の家で食べた豆腐の美味しかった事」
と参列した皆さんから聞いた時はとても嬉しかったです。
車で1時間もかかる田舎まで,来て下さった事も嬉しかったが,其れ
にもまして嬉しかったのです。
その 3
其の時に食べるご飯を、炊くなも大変でした。五右衛門風呂の様な
大釜で炊くのです。釜が大きいので必ず,お焦げが出来ます。かなり
に多くの,お焦げが出来るのです。
其れを物欲しそうにそばで見ている私達子供にくれるのでした。仕事
の邪魔になる事も,平気な子供でした。
懐かしいイメージが浮かんでキマス。アリガトウ・・・コメントを
下さったみなさん方へ
何か昔のようすを纏める,「生活史」を掘り起こしている様です。
2月15日
今日のお昼のおかずに、珍しく油揚があった。何気なく食べていて、
ふと思い出した。
田舎育ちの子供で食事のおかずに,たまに油揚があった。昭和生ま
れの戦時中のこと、結構油揚はそう何時も食べるおかずではなかった。
田舎ではお葬式の後の食べ物に,必ず油揚がでたものでした。其れで
油揚を喜んで食べる私に熱心な仏教信者の母や叔母は,口をそろえて
「武ちゃん坊さんに成ったら油揚は,毎日食べられるよ‥坊さんにな
りなさい」と良く言われました。そんなに毎日食べられるなら、坊さ
んになろうと子供の頃は思っていました。
坊さんには成らずに、教育者の道を私は選びました。然し母や叔母
さんの言った言葉と、その深い意味は今も絶対に忘れてはいません。
其れで私と妹と二人で父母の納骨を,京都の東本願寺にしました。
父母が一度で良いからと、願っていた本願寺を永久の住まいにして上
げたのです。
叔母さん(母の妹)の子は今は、岐阜の寺で住職を務めています
叔母さんも子供には恵まれませんでした。が3歳から養子で育てた子
供が立派に成長して,叔母さんの供養もしています。
おかずのふた切れの油揚から、こんな事を思い出す私でした。
・・
2月15日土曜日
2月11日バイオリンの、ミニ発表会に参加しました。
たまたま私のブログに松本さんがコメントし、バイオリンの
先生が「松本先生」だったので先生に電話をしました。
コメントを下さった松本さん、有り難う御座いました。・・・
其の時に先生から・・「2月11日に発表会をしますので,お
暇でしたら来ませんか?」と私も誘って下さいました。
其れで、バイオリンのレッスンを休んで、もう一年有余も成る
のに 先生からの誘いに甘えて聞きに行きました。
先生も旧友もみんな喜んで、迎えて下さいました。そして後の
反省会にも誘ってくれました其れで反省会にも参加しました。
其の時のようすを写真に撮りましたが、まだブログに入れら
れませんでした。昨日と今日も何とか出来ないかと、・・・
出来ませんでした。
暫くお待ち下さい。
・ 発表する会員の皆様
・ 今日発表の言いわけ・反省会?此の雰囲気が
とても 和やかで,皆さんが打ち解け 合うのです
それででみんなバイオリンを学ぶ仲間が仲良く
楽しいのです。
~ まだ上手く写真を入れられません。 ~
失敗その1 久しぶりのバイオリン仲間との出会いで有ったので,
写真を撮るのに 遠慮したこと.其れとカメラの位置が、
逆光の場所でした。
その2 写真を入れるのに、その説明が出来ないのです.説明を
入れようとすると説明の文の行がみだれるのです。
説明した写真はどこかに有るのですが、・・・そうして
一つ写真を入れる毎に本文が何処かへ・・・分からなくなるのです。
問題が多いのです。
ああ草臥れた。草臥れた。・・・