82歳からの旅

私の記録

 ~ 買い物と健康 ~

2013年01月29日 08時57分40秒 | 私の健康
   1月29日 火曜日  
 私の運転する車で妻と二人で整骨院に行き、その帰りにスーパーに買い
物に一緒にいきます。
 買い物で荷物が多く重たいので、私も車で買い物に同行するのです。

 一緒に買い物に行くと妻が、「何か欲しいものはないかね。」と聞きま
すが、別に欲しいものもありません。妻は私の欲しいものを、知っている
からです。

 それで私はスーパーの中を、買い物車を押して歩行練習をします。車が
有るので悪い腰もピンと伸び、その上車で歩くのが楽しいのです。

 家で歩こうと靴を履いて2分も歩くと、息が切れそうになりますがスーパ
ーの中は、車があって楽に歩けます。
 
 買い物の手伝いと健康づくり、誠に一石二鳥の良い暮らしです。それで
スーパーの中を自由に伸び伸びと、歩行練習をします。買い物客に迷惑を
かけない様に気を配りながら…楽しい妻との買い物のひと時であります。

 悪い事かなー…とは思いながらも…まあいいや……是も一つの健康づく
り、頑張れ;頑張れ;わっしょいわっしょい、少し大げさかなあ… 















     
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 ~ 心が貧しくても ~ どうかならないか

2013年01月28日 21時49分50秒 | 生活
   1月28日 月曜日      
         …………2年ばかり前の話です………
 信号機のない交差点で、交通事故をおこしました。私は優先道路を、相手
は一端停止線で停止せずに、私の車に衝突しました。
 
 衝突するとすぐに大声で、「貴様がちゃんと何故停止しないのか」と怒鳴
りました。私は黙って車から降りました,そうしてお互いに大怪我がなくて
良かったですね」といいました。

 警察に連絡すると、すぐ警察は来ました。現場を見た警察は、相手の方に
行って事情を調べました。それから私にも色々と尋ねました。
 
 その後の調査で1対9の割合で、相手が保障する事となりました。処が私
の車は「ホルクスワーゲン」で10年目の、50000キロ走行の車でした。
 古い車は任意保険が保証する、保険金がすくないのです。其の為に相手の
保険の保証金より、私の車の保証金額の方が金額が高いのです。
 その為に私の車の保険のお金に、更にお金を足し止む無く新車を買いまし
た。
 (事故車はエンジン部分が壊れて、修理するとお金が高くかかるのです。)

 余りにも不条理な事で、弁護士に相談して見ました。弁護士の言うには
「貴方の言い分は正しいですが、「早く忘れなさい」腹が立つばかりですよ
と言うのです。それで弁護士の言う様に、忘れるようにしました。

 相手の可害者と何回も話しましたが、相手は受け付けません。保険会社任
せです。素人と保険会社では太刀打ちできません、それで諦めたのです。

 ここまではまあ法律がそのように、なっているので仕方がありません。

是からが問題です。
 ① 加害者が事故後に、お詫びを私に言わないのです。事故後何日かたって
「保険会社から言われたのでお詫びします。」と家内に電話があったのです。
 事故の相手は私には、お詫びを言わないのです、それを言うと奥さんに言っ
たからの一点張りです。私には言おうとはしません………

 ② お詫びの言葉もないのに、と言うと「奥さんに言いましたよ」と澄
  ました顔で言うばかりです。
  
 
  私はもう「何おか言わんや。」と諦めました、早く忘れよう忘れよう。
 それにしても、心貧しい人よ、人間の顔をした心無い人間もいる。と言
 う事をこの年になって、初めて知った次第です。

  学校の先生は世の中の事にうとい、と言う事が初めてわかったのです。
 お笑い下さい、漫才ではありませんが………


 許して上げます、人間の心を持たない人よ。これでも今は生きて行ける不
 幸な日本の社会です。
  寂しい…寂しい…こんな人がいるなんて。「日本人には話せても、外国
 の人には話されません恥ずかしくて。」「皆さんも外国の人には話さない
下さい」……いや冗談です、人生は明るく・楽しく・愉快にいきましょう。

   ………でも こんな人間は如何かしなくてはいけません……… 
   ………もしかしたら、貴方の隣にもいるかもしれませんよ………
   ………いやいるはずもありません、世界に冠たる日本ですもの………




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 ~ メジロが庭にやって来る ~

2013年01月27日 21時03分25秒 | 生活
   1月27日日曜日  

    メジロ

 メジロが庭にやって来る
 メジろが庭にやって来ると
 私の胸は何故か高鳴る
 美しいメジロよ メジロ 
 
 今は 餌を求めて忙しい
 我が家の 玄関の松に木に 
 餌があるのか しきりに捜す
 枝の間をついばみながら

 寒さ中かに 我が家の庭の
 庭木の間を こそこそと
 春の訪れ 待つまなく
 綺麗な声で 囀りはじめ

 気が付いて 
 山は一面に新緑に
 濃いい緑になったころ
 汗ばむ暑い 夏が来る

     
     鶯 

 うぐいすよ、うぐいすよ
 今はチャッ チャッ
 声も・声 鳴き声も
 姿も姿よ どうしたの
 姿も姿よ どうしたの
 

 やがて春が来ると
 姿も見せずに
 きれいな声で ほうっほけきょ
 きれいな声で ほうっほきぇきょ
 見せないはずだよ うぐいすよ
 それでも 私の 心を奪う






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 ~ 従兄弟の病気見舞い ~

2013年01月22日 07時25分51秒 | 生活
  1月26日土曜日  
 私の母方の家に私より、一歳年上の従兄弟がいます。脳梗塞の病気
で今は退院して、自宅で療養中です。それで私たちの甥の住職が、岐
阜から遠路はるばる見舞いに来るのです。

 其の住職が小学一年生の時の遠足に、私がついて行きました。その
日は叔母が忙しく私も一緒に住んでいたので高卒浪人中の私が代わりに
行ったのです。そんな事もあって私も、久振りに再会です。

 この前住職の嫁さんが来た時も、私が車で小倉から苅田の母の生家
まで送りました。
 
 23日の午後5時23分小倉駅着の新幹線で到着し、私が小倉より
車で行橋迄送り其の夜はゆくはしのホテルに2人で宿泊しました。も
う一人来る予定でしたが、僧侶で急に予定が変更でキャンセルする…
 その晩は住職の友達と、私を合わせて3人で(もう一人はキャンセル)
し久しぶりの再会を楽しみ「一文字と言う酒場」でを飲み
ました。
  
 ① 賽銭泥棒の話           

  お寺では本堂を含めて何箇所所か、人の出入りが自由に出来るよ
 うにしています。それで敷地内に入ると、ベルが鳴る様しています。

  ある日ゴトゴトと音がするので、住職が音のする処に行くと賽銭
  箱を逆さにして、中の賽銭を出していました。
 ・ 住職・・こらこら「賽銭箱からはお金は出すものではない,賽銭
  箱はお金を入れるものだ、出したお金は賽銭箱に入れなさい。」
 ・ 泥棒・・ 出した賽銭を賽銭箱の中に入れる。
 ・ 住職・・ まだ賽銭を入れてない、君の分の賽銭を……。
 ・ 泥棒・・ 100円入れる・
 ・ 住職・・ 出した罪の補い分も入れなさい。
 ・ 泥棒・・ もう100円入れる

  暫らくすると別の場所で又ゴトゴトと音がする,行って見るとさっ
  きの泥棒である、「賽銭箱からは出すものではない、入れるものだ
  とさっき言ったばかりじゃーないかね。」出した賽銭は入れなさい…
  と言って
 ・ 出した賽銭をぶつぶつ言いながら、賽銭箱の中に入れる………
 ・ 泥棒・・ 100円入れて……また100円入れる。

 ・ 叔母さんが住んでいた頃、家に泥棒が入っても家には「盗んでい
   く物は何もない、置いて行くものはあるかもしれない」と叔母さ
   んが言っいた事を思い出しました。

   ※  親子とは言え仏心のある人は、凡人とは違うと思った。
                      

 ② 飲み屋のママさんとの会話
  
  ・ ビールをどうぞ…コップを出して「綺麗なママさんの酌のビール
    は、何倍も美味しいのです」と言って私がコップを出すと、ママ
    さんも気に入って、ではもう一杯どうぞと… 更にもう一杯……
  
  ・ その日は簑島の漁港からの新鮮な、フグ料理で白子もあってとて
    もおいしいお酒を飲む事ができました。
 
 ③ 2次会 
   
    久振りの酒席で気の許しあえる会であったので、2次会にも行き
    ました。私は体力がついていけないので、一人カラオケを歌って
    付き合いました。店を出たのは12時を過ぎていた。宿に帰って
    風呂に入ったので、やっと2時半過ぎに床に就来ました。
  
 24日 10時すぎに……
    住職が子供の時に住んでいた家のあたりを、探して1時間余り歩
    きました。
     最初に今は亡き友達の寺に行き、本堂の中を眺めていました。
    そうしてここで、先代の住職がこんな事をしてくれた等……
    懐かしそうに話乍……… 寺の様子を見て甥は、今は亡き友を想
    い大変寂しそうでした。

         …………それから故郷の探検です………

     30年も経っているので家々の表札を見ても変わり、まるで浦
    島さんみたいだった。
     故郷を見るのもこれが最後だと思うと、仲々去りがたく何時ま
    でも、心の中の何かを探していました。
     私は歩き疲れて途中休みましたが、甥は一軒一軒玄関まで行っ
    て表札を見、人がいればおさな友達の名前を言って故郷を訪ねて
    回りました。

     やっと自分が住んでいた家のあたりを見つけましたが、昔の様
    子は少しもありませんでした。
     甥は自分の年老いた今を、再確認させられる様でした。私も一
    緒に住んでいた事もあって、甥の気持ちと変わりませんでした。

     住職が伯父の見舞いに行ったのは、其処から30分ほどの処です。
    ついたのは11時半過ぎでした。私の妹も誘って一緒に従兄弟の見
    舞いに同席しました。
     
     伯父は大変喜んで、感涙の涙でむせぶほどでした。別れる前に
    伯父と住職とが交わした手紙を、従兄弟は不自由な身で伯母に伝
    えて書類を甥に渡しました。それで伯父は大きく息を吸って、何か
    一 安心した様な様子でした。
     
 
     その様子を見て今回甥を案内した事は、大変良かったと思った。
    最後に皆で御馳走をいただき、懇談をして従兄弟の家を後にした。

   午後2時ごろから   
          …………限りなき男の友情…………
     おさな友達で今は亡き人の家を訪ねる事にした。車で一時間ばか
    りかけて、下曽根駅の近くのマンションの家にお伺いした。
     奥さんが迎えてくれたので、そこで挨拶をしてから仏壇に向かい
    甥の住職が「お経をあげました。」それから暫らく懇談しました。
     遠路岐阜より遥々北九州市迄来て、しかも大切な時間を割いて来
    る「男の友情に」奥さんは大変喜んでくださりました。私も「曇り
    ない美しい男の友情を」目の当たりにし、涙が出る程感動しました。

    四時半過ぎにお暇して行橋迄送って、それから我が家へ帰った。

    今日一日は心の通った、一日であった「さすがは寺の住職との一日
    であったし、私の人生いの中で「心の大洗濯の日」でもあったと思
    う。
     何だか心がすっきりした様な気がします。昔の人はこんな事を
    良くしていたことだろうと思う。

     私の生涯の一つとして、甥と私との感慨深い思い出深い一日に成る
    と思った。
     
    古き良きものをどこかへ、捨ててしまったのでしょう……… 
     
         






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~ 小さな心の金メタルを ~

2013年01月18日 09時24分41秒 | 教育
    1月18日金曜日   
 
  今年の年賀状に新卒で一年間勤務した先生から、萩
  が丘小の一年間は私のダイヤモンドです。と言うのが
  有りました。それでどうしてダイヤモンドなのかを私な
  りに考えて見ました。

 
 ① 4年生が男子便器の掃除をしている時に、私が便器の皿を挟みき
  で取ろうとしましたが、中々重くて取れません。それを見た4年生の男
  の子が、すぐに手で皿を取って洗ってくれました。

   誰もが嫌な便所の掃除その中でも一番嫌いな便器の皿を手で取って洗
  ってくれたのです。 
   それでその子を褒めました、何を褒めたかと言うと、誰もが嫌がる汚
  い処を「進んで手で取ろうとする心を」褒めてあげました。萩が丘小学
  校の便所場の掃除のチャンピオン、と言って褒めました。………
   
   反省 学校をきれいにするチャンピオンで全校朝会の時に「金メダル
      をあげてやれば良かった」と今思います。そうするためには大
      変な勇気と、決断力が必要です。
       校長が差別教育をするのか?、校長は目立つことばかりの事
      をする。など…でも今だったら私はします。多くの子供が救わ
      れる、更に自分の能力を大きく伸ばす事が出来ると思うからです。

 ②  3年生の子供が昼休みに校長室のドアを少し開けて,覘きながら中
  指と人差し指で私を呼ぶのです。私は「何か用かね」と言って、「用事が
  あるなら入っておいで」と。言うとクラスの友達が「悪い遊びをしている」
  と言うのです。
   その子に連れられて現場に行って見ると、木の枝にダンボールの箱を
  載せて遊んでいます。中々勇気のいる奇抜な遊びです。
  
   子供にとっては、とても面白い遊びでしょう。遊びのチャンピオンと、言
  いたいところですが言えない所が……子供の命を預かる責任者です。

   現場に着くやすぐ、遊んでいる子供の方から「お前もしてる癖に」と、そ
  れで私は「面白いかね」と尋ねると「校長先生面白いよ」自慢げに言うので
  す。そこで「怪我をしてもしらんど」「どうしてもしたいのならお父さんか
  お母さんに、家の子は怪我をしたり・死ぬような事が有っても良いです、そ
  れでこんな遊びをさせて下さい。」と書いて持って来なさい。そうしたら許
  して上げるから。と………

 ③ 昼休みに6年生の子供が、「校長先生一年生の子が有料道路の土手に
  上がってつくしを取っていますよ。」「校長先生は今忙しくて行けない
  ので君たちが行って注意しなさい。」と言うと「僕達が言っても聞かな
  いのです」そこで「一年生も指導出来ない6年生かね?ちゃんと教えて
  あげなさい。」と………
   後で6年生が一年生を連れて来ました、一年生がお詫びに来たのです。

 ④ 最後に日本女子バレーの竹下佳恵選手、子供会のバレーに3年生から
  入って良く頑張りました。6年生の後についてきて日曜日の○○杯バレ
  ーで優勝・準優勝等そんな時に 月曜日の朝必ず最初に校長先生に見せ
  てくれましたね。校長先生は本当に嬉しかったですよ、本当に有難う………
   
   其の時こんな事を言った事覚えていますか、「この賞状は順番に持って
  帰って、おうちのお父さんか、お母さんに読んでもらいなさい。其の時に
  きょうつけの姿勢で読むのを聞くのですよ、恥ずかしがってぐずぐずした
  らいけませんよ、優勝したチームメンバーの子供だから。」と言った事を………

    世界一の名セッターと言われるまで、良く諦めずに続けて来ま
   したね。其の努力に日本中の人が、勇気とやる気と希望をもらっ
   ているのです。
    貴方が一年生に入学して、卒業するまで、私もその年に萩が丘
   小学校で退職しましたので思い出は格別です。

    校長先生は日本女子バレーの竹下芳江選手が、萩が丘小学校の
   卒業生であることに誇りを持っています。
    
 
    ああそうだったのか私も、萩が丘小学校で「沢山の良い子達」
   から心の金メダルを、見せてもらったのだったか…………

    先生の「私の萩が丘小学校の一年間はダイヤモンドです」に比
   べて私は1300人の子供から「心の金メダルを沢山見せてもら
   ったんだったのでした。」

    新卒一年の間の短い間の勤務でしたが、先生の年賀状「萩が丘
   小学校勤務の一年は、私のダイヤモンドです」を読んで私も萩が
   丘の9年間の勤務を振り返り、子供達から教えられた学校を「良
   い学校・楽しい学校にしよう」と想う心を思い出して、今感動致
   している処です。
    素晴らしい年賀状本当に有難う、心から感謝いたします。此の
   一部を萩が丘小学校の50周年の、記念式2月2日にお話し致す
   予定です。時間は5分間ですけれど…………

    萩が丘小学校よ・そして萩が丘小学校の子供
   達よ・校区民や保護者の皆さん、酒飲みでぐう
   たら校長を9年間も見捨てず育てて下さって本
   当に有難う御座いました………… 
           



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