82歳からの旅

私の記録

 ~ 私の親友の逝去で ~  

2019年01月12日 18時04分16秒 | 友人

  ~ 1月12日 金曜日 ~

 私の親友で高校3年間、成績は常にト

ップの髙生君でした。其の髙生君は、自

分心をコントロール出来ず躁鬱病で老人

福祉施設に入っていました。

 彼は中学の数学の教師で、組合運動と

真面目な授業との狭間で、生真面目な為

躁鬱病になったのです。

 時々お見舞いに、行っていました。そ

のお見舞いも,躁の時だけお見舞いが出

来るのです。

 だからお見舞いも、電話して躁の時か

,鬱の時かを確かめて行っていました。私

が車の運転を、止めてからお見舞いが出

来なくなりました。遠方の為に、いけない

のです。

 それで今年になって、電話で尋ねたと

ころ昨年の末に、亡くなっていたのです。

 彼は躁の時は、平和新聞や教育新聞な

どの個人新聞を発行して、関係者に発送

していました。私にも、数多く送ってく

れました。

 わたしは其の新聞を見て,鬱の髙生君

が信じられないのです。その髙生君の死

に、何とも言えない、この世の非情さを

感じるのです。

 彼はたった一人の息子に、先立たれ、

最愛の奥さんを残して、この世を寂く去

ったのです。

 悲しい淋しいそうして、彼にとっては

この上もない、残酷なこの世でした。

 髙生君の浄土での、幸せを心からお祈り

してお別れいたします。合掌

 

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  ~ 友達は宝 ~ 

2013年12月05日 21時05分23秒 | 友人

         12月5日 木曜日   
 
         ~ 月・雪・花 の時最も友を想う ~ 
      川端 康成先生作 の歌で、私の大好きな言葉の一つです。
 
    ~ 春 は花 夏 ホトトギス 秋 は月 冬 雪さえて冷しかりけり ~ 
      道元禅師(1200~1253)の作で‥

      春花の豪華絢爛に咲き人の心を奪う…
      夏 ほととぎすの 鳴き声で詩情をかき立てられて…
      秋の月の美しさは万人の心を清らかにし…
      冬の雪‥満面に降った白雪で 心の澱みを洗い清められる…
      そのように私には思えるのです。


      そんな時に「友を想う」私は友と一緒にありたい
      酒でも酌み交わして‥我が友と会う事の出来た幸せを喜ぶ

      其の季節になると親しき友に必ず一筆書くのです
      
      友との語らいに依って
      嬉しさは 倍加し、
      嫌なこと・困った事の時・悩みの時は
      友と語らいのうちに、心は癒される
      そんな気持ちを込めて、同窓会を七夕の頃 毎年するのです。
    
    ・ 同期生が古希を迎えて 北九州簡保の宿に宿泊して
  

        友遠方より来たる 又楽しからずや
          

     夜も寝ずにお互いに、交流を深め  今は亡き友 k氏作の漢詩
  
   友を想い「古希を迎える会の」盛会さを願うk氏の心が詩文に溢れる・・・

    ・ 傘寿の歳に当たり 此の歳まで健康で生きた来た、
幸せを喜び合う。
  
   

           
            

                        友は宝 金では買えない宝 
            求めずとも近くにありて
            この会に 参加せずして
            良き宝を得ずや 
            惜しきかな 
            参加せぬ友よ
         






    

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心の中にあるたくさんの絵の中から

2012年11月08日 08時33分22秒 | 友人
             11月8日

 私の心の中には、沢山の絵を直しています。誕生してから今日に到るまで、82年間もの永い永い間一生懸命に書いたその絵を・・・

 一日一枚一枚,いや何枚も書いた日もあるのよ。それを一つ一つ整理しなおして、置きたいと思うのです。妹は言いました、生活に関係のないものは捨てるのよ。・・・・・・・・確かにいらないものは皆さんは、捨てて生きて来たのです。でも誰もまだたくさんの絵を、残しているのです。では残った絵を、私はどうしようかな?

                 心に残る一枚の絵から

 沢山ある絵の中から、小学校一年生の時の絵を一枚だけ出してみます。入学前に伯父さんから貰ったランドセルです。それは紙と布で作ったランドセルでした、戦争の始まる前で物のない時でした。( 昭和12年7月7日から昭和20年の8月15日迄戦争の明け暮れで何もかもない時代でした。私が7歳から15歳のときでした。)

 家の人に見せるため、ランドセルを背負って家の中を回りました。鏡の前に立って見ました、夜は枕元に置いて寝ました。何しろものの無い時に、自分のものがと突然に出来たのですから、それに一年生に入学出来る嬉しさとで一杯でした。我が家に春が来たのです、春が来た 春が来た 何処にー来た 

 「 思いだしました未だ伯父さんにお礼も言っていないのです,今度伯父さんの家に行って丁寧にお礼を言いましょう 」
 
 その時の嬉しさが、今の私を育てるスタートだったのでしょう。とても良いスタートだったと思います。これから始まる人生のコースを、間違うことなく走り続けたのです。この絵を大事にしてこれからも、生きて行こう











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変わった友人

2012年10月27日 18時51分41秒 | 友人
 10月27日土曜日晴れ
 
 私の親しい友人の中の一人にN君がいます。N君とは大学の時に大学寮で出会いました。
 
 彼は良家の長男で好人物の学生でした、彼が布団の質入れする時二人で担いで質入れを手伝いました。それからの彼との付き合いは緊密になり、彼女のラブレータを代筆したり等々色々しました。彼が結婚する時には結婚式の進行もしました。  

 彼の人間性溢れる楽しい武勇伝はありますが、これ位にいたします。

  大規模校の校長を退職して後、田舎の父母の家を継いで遠く離れていますが私の大切な友達の一人です。

 いま彼は健康を害して不便な生活をしていますが、私は手紙を書いて何時も励ましています。中秋の名月を眺めて「月・雪・花」の時・「明月を眺め酒を」寒い冬「美しい雪を眺め酒を」「春爛漫に咲く花を眺め酒を」心行くまで飲める健康を早く  早く元気に

 酒の好きな彼は手紙を見て若いころの自分を想い浮かべ、勇気づけられて喜びの返事の電話がすぐきます。もっと親しいM君がいましたが、今は天国で気持ち良く永久の眠りについています。  
 私の性格や人間性は彼らから、多く学び良いところを身に取り入れました。 許してね 御免なさい。          
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私の友達

2012年10月26日 07時43分50秒 | 友人

     10月26日金曜日晴れ
  私には今忘れられない友人がいます。其の友人は

    今躁鬱病で施設に保護されて、其処で生涯を過ごす

    ような状況です。
     そう言う状態の中で彼は悩みながら、憲法9

    条を守る会の会員として・戦争の放棄 軍隊を持たぬ

    を柱とした、切り貼り新聞を自費発行しています。 
    そうして彼は自分には、今選挙権がないと言って

    悔やんでいます。
     その上にたった一人の大学出の息子に、自殺され奥さん

    も同じ施設に、入所している状態です。
    中学・高校
・と何時も成績はトップでの彼が、どうしてそ  

    んな病気になったのか私には想像できます。彼はとても真面

    目で正直です、しかし小心でしたので、それが彼を狂わせた  

    のです。
     彼は教師として奉職して、真面目に勤務しました。組合活

    動が厳しいころに、組合運動に忠実でした。その為に職場で

    子供中心の仕事に忠実で、組合の進める雑務拒否を忠実に

    守ったのです。雑務拒否をおし通していくと、困ってしまい 

    ます。
     保護者から○○○○はどうなっていますかと尋ねられると、

    彼はそれは校長の職務だから、校長に聞いて下さい。

    と・・・こんなことが重なって、どうにもならなくなりまし

    た。(私の推察)
     こんな事を伝え聞いた高校の友人が、集まって彼と何度も

    話し合いました。その時は納得して帰るのですが、職場に帰 

    ると巧く出来ないのです。彼は融通が利かないのです、決め

    た事は、きちっと守らないと、自分が納得できなくて困るの

    です。(之も私の推察です)

     何度も私は彼と会って話し合い、忠告しましたが私と話し

    ている時は納得するのです。しかしとうとう病気になってし

    まいました。とても残念ですがどうにもなりません。
     彼が躁の時にクラス会の案内状を一人で計画して、 

    皆に発送しました。いよいよ当日彼は、鬱になりクラス会に

    来ませんでした。参加したクラスのみんなは、唖然としまし

    た。それで彼を信用する人は、誰もいません。クラス会に熱

    心な彼が不憫でなりません。
     私はそんな彼の、唯一の友達でいます 
     


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