2月23日月曜日
パソコンで毎日、楽しんでいます。出来上がった文章を、プリン
トするとページどうりに印刷しないのです。
奇数ぺーじだけ、プリントし,偶数ページは印刷しないのです。勿
論出来上がった文章は,全部プリントしているのです。
旧いプリンターの時は,とても良く印刷出来ていたのに。
エプソンの E・Pー976 A3のプリンターで・・・・・・
こんな憂鬱な日でした。
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2月19日木曜日
1年に1回循環器と神経内科の、精密検査を
総合病院で受けている。今年は2月19日に,
一日かかりで検査にいった。
午前中は循環器(心臓)の検査を中心に、午後
は神経内科(脳梗塞)のMR検査ほかでした。
以前は半年毎に,検査をしていました。が
経過が良くて,昨年より1年に1回にしたので
した。
今年はどちらも順調で,病状の進化は見られ
ませんでした。良かった…良かった・・・
でも何時急変するか心配で,年に1回予約を
申し入れました。
処が循環器の方は何とか、其れを受け入れて
くれました。然し神経内科の方は,病気のない
貴方より病気の人でそちらを優先するというの
です。そうして個人経営の病院を,紹介してく
れるのです。
医師の言う方は、理に叶って良く分かります。
けれど何か可笑しいのです。
其の1 医者は一人の患者を継続して、診てい
く事によって医者としての見識をつけるので
す。人から教えられた事でなく・・・
で有れば、来ている患者は断れないのでは
2 悪く成ったら何時でも診て上げますと
医者は言います・がこれは間違いですあくま
でも、予防の立場で患者に対すべきです。
・・・略
私は患者として病院に行くときは,病院であれ
ば、何所でも良いと言うのではないからです。
まあ仕方ないか?医学は進歩しているし、
医療機器も進歩しているので、まあイイか?
と何とか納得したこんな一日でした。
2月14日土曜日 晴
私を育てた白川小学校と友達
自分史の第2章の一部 タイトルです。
1 入学式に「アイ」の返事をする子
…一生懸命に始めて皆と交わる
2 教室で「流行唄・はやり唄」を歌う一年生の子
…先生に優しく教えられて…諭されて
3 イヌのあだ名をつけられ,でも吠えられない子
…悔しいが我慢して耐え・忍耐心を
4 一緒に遊んで貰えない子
…堪忍袋の緒がきれて 勇気で立ち向かう
5 火遊びで座敷の障子を焼いた子
… 好奇心も仇となり・2度としてはいけない
6 雪の降る日にグランドに一人立たされた子
…寒さと恥ずかしさに耐え…降る雪を数え
この子は学校で幾つもの抵抗を乗り越え
て普通の子に,成長して行くのです。其れに
は多くの人の,励ましや支えがあったのです。
2月10日火曜日
朝6時に起きて部屋の温度14度、昨日より若干暖かい。
昨日グループホームおむすび苑に、弟の様子見に行った。弟は
今迄誰とも話をせずに、生きて来ているのです。自分から話しかけ
ないので,6年ばかり人との会話が無いのです。
其処で強引に私が,弟に話す切っかけを作ったのです。隣にい
る90歳?の男の人に・・・
其れから2~3日して訪問をすると、表情が随分明るくなって来
た様でした。
はじめに何時も隣にいる人に、話しかけさせました。隣の人は
寡黙で答えないのです.其れで持って行ったおやつを上げて話を
させました.
有り難うのほかは、答えないのです。源ちゃんも答えないので
会話になりません.でも席をくっつけて,直ぐ側で答えない相手
に,話しかけさせました.幾らか表
情が二人共に和らいできたのです。
其の後どう変わったかを,見に行ったのです.すると施設の中
の女性とも、話す
様に成って来たとの介護の人からの報告でした。其れと源ちゃん
が素直になったとも言ってくれました
其れに私とも,会話をする様になりました。今迄私が幾ら問い
かけても答えなかった事に、答えてくれるのです。
私の言う事が解るか?と言うと 兄の言う事は分かるが,しなさ
いと言った事が出来ないと言うのです。簡単な事なのに・・・
出来ないのではじめから,答えなかったのでしょう。
又弟は足腰が弱くて,歩行が困難です。それの指導もしていま
す。幾らか効果があって,ふらふらながら歩ける様になって来た
のです。
其の回復状況と,次の指導もしたいのです。足腰を強める指導
は,私でも出来ますので施設を頻繁に訪問して指導をいるところ
です。
グループホームでは、リハビリの指導はしないのです。其の為
に、リハビリの有る施設に変わらないといけないのです。が代わ
りの施設の空きをまっている処です。
私は今弟の分まで生きないといけないので,時間が欲しいので
す。私は若い頃親不孝をでしたので,其の代わりに弟の面倒を幾
らかでも見て上げたいのです。
其れが今の私に育ててくれた人に対しての,感謝と御礼なのです。
・・・・・・・ 以上 ・・・・・・・・・
2月11日 月曜日
2月10日日曜日時々こでした。この冬一番の寒さでした。北九州マラソンに娘婿が走るのに、娘は出張でいないのです。其処で私が中3と小2の孫を連れて応援に行くことにした。
マラソンコースは、門司港が、折り返し点になっています。其れで門司駅北側を、行きと帰り2回走るのを応援出来ます。門司駅で応援する様に、決めていました。、
当日10日の朝電話すると、孫は二人でスタート地点で、父親の応援すると言う。さすがは父親の走る姿を、現地で応援するのです.一万人の参加者が、走るのです。
私は門司で10時15分から12時半まで門司駅前で応援する。と告げて9時半過ぎに、応援に行きました。その後携帯でスタート地点で応援をしたら、門司駅に帰って来る様に連絡した。
その後携帯で連絡するも、連絡は上手く取れません。其れでまあ一人で、応援も良いと、一人で走ってくる選手を待っていました。
その日はとても寒くて、その上海峡からの風はとても厳しかったのです。其の為に目から涙が出て、涙を拭き拭きの応援で大変でした。
応援も初めのうちは、大きな声で頑張れとか…フワイト・フワイト等声援を送っていました。
そのうちに寒さと風で、声援も途切れ途切れになって.反対に走る選手の方は元気でした。走る選手から、元気を一杯貰いました。
帰ってから孫に電話すると、孫達はスタート地点で応援し.門司駅でも応援して父親の走る姿を見付けたそうです.良かった良かった.親の頑張っている姿を見たのだから・・・
とうとう娘婿の走る姿は、見付けられずに諦めて帰りました。3時間ばかり応援して、寒さに
震えて…帰ってからは長時間の応援の為に、腰が痛くて夜は大変でした。