82歳からの旅

私の記録

今ひとたびの 「 戦後日本映画 」

2012年09月30日 12時52分25秒 | 読書

         9月30日日曜

     本の紹介 川本三郎 著 
  今ひとたびの戦後日本映画 ~戦後五十年・日本の

  <いま>を考える。 目ぼしい目次、
  1 戦争未亡人と死者 2 田中絹代と戦争未亡人・

  3 三船敏郎と復員兵 4 戦後を生きられなかった

    男と女「浮雲」5 私が捨てた母親「日本の悲劇」

    の望月優子 

   6 働く子供の健気さ 「美空ひばり」の「悲しき口

    笛」ほか 7 愉しい民主主義「青い山脈」の明るさ
   ※ 此の本の目次だけを見てもわかるように、戦後の日

    本人がどのように生きるべきかを、映画のスクーリン

    を通して、監督が観客に訴えている。
     戦後80年を経ようとする今読むと、特に「東京物語」

    昭和28年・戦争未亡人を演じた、原 節子は 夫の遺影

    を部屋に飾り義父・義母の再婚のすすめを固く断り、(夫

    の兄弟が、世話をしないのに) 義父・義母の世話までする  

    戦後の、日本女性を描いている。

     女優(田中絹代、山田五十鈴,高峰秀子、淡島千景、小暮 

     実千代、望月優子…・日本映画を代表する女優が一度は、  

     戦争未亡人を演じている。

      原節子や田中絹代は自己主張しない、つつましい日本女

     性が良く似合ったからと言う、資質もあっただろう。
      戦後日本映画はーー戦争未亡人を描く事で、戦争で死ん 

     だ多くの死者達を追悼、鎮魂 しようとしたのだ。「死者

     を忘れるな」と生き残った自分たちに、言い聞かせようと

     したのだ。   
      戦後の貧しさ、復員兵の複雑な心境のからみ、そして何

     とか人間らしい生活への望みを、日本国民が必死に生きた

     いく様がとても良い本であり、読み応えのあるほんである

      そのほか戦後を生きた、復員兵の生き方も多くある。
         以下省略・・・…御免なさい。
      


鯉に恋して鯉を買う―82歳の青年です

2012年09月29日 20時54分09秒 | 日記
9月29日 土曜日

 今日10時過ぎに自由時間が出来たので、でドライブを兼ねて豊前の
道の「おこしかけ」に鯉(恋い)を買いに行った。82歳にもなると恋いも買える
のですよ?・・・素敵でしょうでも車で一時間位もかかるんですよ?一時間位か
かっても恋いを買うのですから 少し浅ましいかな? でもまあいいや・・・
 これで我が家の池も賑やかになります、でも買ってきた恋は保育園・幼稚園
です。でもやがて晩秋の頃になると、池の面に紅葉が浮かび其の間を保育園恋や
幼稚園恋が 運動会をしたりお遊戯会などをして私に観せてくれますのよ!!  
 素敵じゃないですか、毎朝それを眺めるのが私の楽しみの一つです。私の
心には 気持ちと美味しい美味しい食べ物を食べたように
満たされるのです。



豊前市「道の駅・おこしかけ」




この画像は道の駅の金魚ではありません。



 

逸話に生きる 菊池寛 其の二

2012年09月28日 21時17分06秒 | 読書
 9月28日 金曜日
「父帰る」菊池寛原作の芝居を見て


 
  
    
舞台の上の筋の運びと、俳優の情熱的な演技とが、見事に一本に
  なってまことに呼吸もつかせぬ感動的な芝居であった。
   此の芝居を見ていた私もやはり、抑えても抑えても涙が出てくる。
  いつか涙はほほからあごえ流れ落ちた。
   幕が下りてやがてパッと電燈がついた。隣にいる芥川を見ると芥川も
  ハンケチでしきりに瞼を拭いている。久米の頬にも涙がとめどなく流れ
  ている。小島政二郎も・・・目を真っ赤にしている。…・・・・・
   私はすぐ後ろに座っている菊池寛を振り返った。その瞬間思いがけな
  いものをそこに見て、また新しい感動が私を襲った。作者の菊池寛まで
  が泣いているのだ。
   菊池寛はあぐらをかいたまま、しばらくたとうとしない。とめどなく
  あふれる涙は、彼の頬をすじになって流れている。・・・・
  
  「泣くまい泣くまいと思って随分我慢したんだが、とうとうないちゃった」
  と言う小島政二郎のいささか照れたような声が、廊下を出る戸口の辺から
  聞こえてきた。
   その時菊池寛の顔に、それまで一度も見たことの無い悲痛な表情をはっき
  り私はみた。
   菊池寛の人柄の一面であるが、人の面倒見の良いこと、多くの人が金の
  無心に来るが、気に入った人には原稿を書かせて、原稿料として金を与えたり
  (原稿はつまらないのでぼつにして) 垢だらけの天才少年 等、そのほか人間
  性のあふれる内容が一杯書かれている。
 
       「 心の栄養を補うには 」 ことかかない本である。
    
   

 北海道旅行をした ~ そのわけは ~

2012年09月27日 05時21分31秒 | 日記
   9月27日 木曜日

 マイカーで北海道一周旅行をじっこうした訳と、良かった事の1~2に
ついて・・
   
     旅行の決意!!した理由
 ① 100歳でスイスのマッターホーンをスキーで滑走した三浦さんと、70歳の
  子供ががエベレストに登頂したことに・・・
 ② 療養中で後幾許とも知れない、96歳の同郷の先輩を老人ホームに見舞い
  「先生今したい事がありますか? ・話す相手はいますか? ・何か好きな事
  をしていますか?「何か気になる事がありますか?」
  ・先生は、本を読むのが好きだったし 孫のことを話すと笑顔を見せていたので
     
   その会話の中で気付いた事は、人間には「生きる気力」がないと
  進歩も・向上も望むべくもない
  と痛切に感じました。
 ③ ほかにもありますが 省略 さあ生きる気力を少しでもいい私の心に育てようぞ!!
  その為に何か思いたとうぞ お金では買えない 「生きる気力を!!」 
 
 北海道の自然が私に「早くおいで・早く早くと!!」耳元で叫ぶこえにほだされて

 ・ 広い広い北海道の大自然に、身も心も大きくなるのを感じた。
  小樽から稚内まで400キロばかりを5時間ばかりかけて走った爽快さ!!車窓から眺め
  の変化とその素晴らしさ
 ・ 花の浮島礼文島の観光は、レンタカーで見る「花の浮島の名のとうりである」山肌に
  は数多くの花が咲き乱れている 草花の中に寝転んでいたい気分であるが 1日で終えて
  午後はフェリーで利尻島へ 姫沼には白鷲が一面に浮かび旅人の心を和ませた。宿は民宿
  で主人が車で町の温泉まで送り、入浴が終わったころに迎えに来てくださった。利尻富士
  は曇っていて残念ながら見えなかった。 
 ・ 最北端の地 宗谷岬に立ちて 間宮林三の碑の前に記念写真を 北の海は波打ち寄せる
  白波が荒くれて、力強く・・美しくも見えて 今日は樺太は曇って見えずそれをずうっと
  暫く遠くを凝視する私のこころ。
 ・ 紋別市を通るときに、大学4年の時神戸であった教育大の全国研究大会のとき知り合って  
  その後大学教授になった阿部 文男氏彼は何年か前に亡くなった事を新聞で知っていたが
  一緒に写った写真に彼が「何年・何十年後かに此の写真を見たときに…と書いてあったので
  彼の育った紋別市まで持ってきたのである。親しかった彼はもうここにはいない、生存
  していたらどんなにか喜ぶ事だろう人生は皮肉なことよ。
 ・ 知床に来てオシンコシンの滝で 此処で山口 NOの車をツアー旅行で見ておれも何時かは
  マイカーでと思い立ったんだ
 ・ 書けばきりがないので・・宿は民宿でほとんど済ませたが何れも親切で街づくりのメーン
  の温泉が近くにありやすくてくつろげた。
        ~ 未完 ~

愛しい「池の鯉」が

2012年09月25日 18時19分39秒 | 日記

         9月25日 火曜日
2~3日前からわずかに残っている池にの鯉が、餌を
あまり良く食べない。手でさわっても逃げたりしないので
おかしいと思っていた。ところが今朝見ると残念なことに
死んでいる、そうしてもう一匹も昼前にとうとう死んでし
まった。
 50㎝もある鯉です、紅白の美しい鯉であり随分長い間私

を楽しませてくれた鯉でした。
 毎朝池の前で鯉を眺めるのが、日課で又池の掃除をするの

が楽しみでもありました。
 24匹ばかりいた鯉で残ったのは、たったの3匹である生き
物は世話が難しくて大変である。
 小さな鯉を補充して入れているが、わたしの心を満足させ
るには十分とは言えない。
 近くに鯉を売っている店がないのでどうしようもないので
ある。
 下関にあった店が4年ばかり前に、店を閉めてしまったので
補充が出来ないでいる。
 10センチくらいの鯉を買ってきても、4~5年もしないと
大きくはならないし大きい鯉は高くてかえないので・・・