8月10日水曜日曇り
自分史後編 第一章 未熟な青年教師の頃
第一節 小森江東小学校は
宮本武蔵と佐々木小次郎決闘の地、船島
(巌流島)を学校の正面玄関から眺め、更に
風光明媚な関門海峡の景観が180度展望で
きるのです。
こんな素晴らしく恵まれた自然環境の下
で毎日はたらくのです。
此の恩恵を忘れる事無く、生涯教師とし
て未来を担う児童と生きる幸せを、神様は
私に下さったのです。
追記1 古くは奈良。平安時代の昔より
大陸との交易の門戸として、遣唐使・遣隋
使等送迎の為に弟子たちが遥々京都から、
師匠の帰りを迎えた場所、弟子待の地名が
対岸の彦島の西端にあります。
その他源平最後の決戦場となった、関門の
門司に、安徳帝の御在所の有った場所が、今
は柳の御所として、市民に親しまれています。
安徳帝が入水したと言われる場所は、対岸
の下関の・みも裾川の(関門海峡大橋の下関の
橋げたのあたり)ではと・・つづきは…またね・
パソコンの調子が上手く出来なくて・・・
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育現場で「戦争の実態」が語られていて、政府が戦
争政策を進められるはずがありませんから。