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82歳からの旅

私の記録

 ~ 私の姉の17回忌の法事に参かするにあたって ~ 

2014年04月06日 08時52分08秒 | 転居のための準備
                 4月6日日曜日
 
 姉の17回忌の法要を、5月の18日に営むとの案内を姪から受けました。
其れで私は今姉の76年間の生涯の中で、私と生活した中の一部をコンパクトに纏めています。
 
 父と母の50回忌(今年の3月9日に実施)の時に,父母の生い立ちや結婚後に今の田家を
どの様に作り現在迄維持して来たかを纏めてしおりを作りました。

 3歳で父を亡くした3男の父は、27歳で20歳の母と結婚し伯父の家で10年間同居して生活
していました。
 37歳の時に家を建て・姉・兄・私の誕生と共に伯父の家から分家しました。その後は小作人と
して父母共に協力して良く働き、現在の家を守り6人の子供を育て来たのです。
 その上に働いたお金で,田地を少し宛買って田畑を増やしたのです。

 さらに私を含めて、4人の弟妹を高校迄学ばせたのです。大変な苦労だったと思います。

 其の為に姉は小さい時から私の守をさせられると共に、家の手伝いもして育てられたのです。
其の姉の苦労の一部、私を子守した時の事や、私に勉強を教えてくれた優しい等等を中心にし
て纏めています。

 その一つ・・・ 泣きながら御飯を炊いた「私の優しい姉ちゃん」の思い出

  姉ちゃんが5年生か6年生の時 私は5歳か6歳の時 の思い出です。

  晩秋の稲の取り入れ時の夕方、姉ちゃんはお釜で御飯を炊いていました,するとお釜から
 水がポトポトと漏っているのです.お釜に「ヒビが入っているのです。」お釜に割れ目が出
 来て其処から水が少し宛もれるのです。

  姉はどうしたら良いのか解らず、泣きながら御飯を炊いていました。が途中で止めて泣い
 ていました。

  其処へ父と母が遅くに,お腹をすかせて帰って来ました。姉は父と母を見て急に大きな声で
 泣きだしました,私も一緒に泣きました。 父も母もどうする事も出来ませんでした。

  此の様な思い出を幾つか纏めて、シオリにして子供や孫達に知らせて上げたいのです。又
 今の私を育て,助けてくれた御礼も込めて仏前に供えたいと思います。

  姉ちゃん私を一任前になるように,良く守をしたり,勉強を教えてくれたりして有り難う。
 有り難う。浄土で優しい父や母と一緒に待っていてね,私も後でいくからね。

  







    


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
出会いに感謝 (masueq)
2017-02-01 11:46:12
法事をすることの大切さが伝わります。
慌ただしい毎日に忘れがちな大切なことを思い出す貴重な機会ですね。

今年春、亡き母の33回忌をします。母は昭和3年生まれ、9人兄姉妹弟(3人幼少他界)の真ん中の3女。小倉の商家で、祖母長兄家族と共に銃後のまもりに徹した軍国少女だったようです。
終戦後短い期間、代用教員をしていて教育熱心な母でした。いつも私を見守ってくれていますが、「母の実家の墓の裏」・父弟の建てた墓の中にいます。(父方は大分県で叔父が守っています。)
こちらの婚家でも法事ごとを大切にして、田畑のある暮らしも感謝してまもっていきたいと思っています。
先生のおかげで、自分の暮らしにも自信が持てたような気がします。
勤めていない後ろめたさがいつも付きまといますが、裏方嫁さん業にもガンバります。
ありがとうございます。
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今日案内の電話がありました (鹿児島の妹)
2014-04-09 21:02:19
本当は5月は遠慮しようと思っていたのですが、姉の最後の法事かと思い(私が元気で行けるのは)出席を返事しました。今回は日帰りにします。若松で食事会ということでかなり遠くまでですが、それを済ませて小倉から発ちます。
日帰りは疲れますが。
また他に提案があれば連絡ください。
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翌檜さん ・屋根裏人さん・keruさん・妹へ (82歳からの旅人より)
2014-04-07 16:04:38
 翌檜さんこんにちは・私は今二人で1人前の生活をしています.其の為に、時間のロスの多い事です。其れには閉口しています。

  自分の時間には、バイオリンの練習 (是は一人遊びです,然し時間はあっという間に過ぎて行きます。)でも楽しい時間です。

 囲碁もそうです,火曜日の午後は囲碁の日です.大戦相手は、同じ位の棋力ですので真剣です。
 
 でも人生には常に遊び心がないと、ギスギスしたり・堅ぐるしく成ります。常にゆとりと遊び心をもって暮らすことです。
 
 折角この世に生まれて来たのです。 「人よりも2倍~5倍も有意義に楽しく過ごす事です。
  是が私の,生きる為の信条です。。
 皆さんもどうぞ宜しくね・・・・・・

 なお気まぐれで,思い出した様に書いているブログを
いつも読んで下さって有り難う.その上にコメントまでして下さって・・・ただただ有り難う御座います。
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19歳違う姉です (鹿児島の妹)
2014-04-07 12:14:36
長女と私は6人兄姉のすえっこ。
長女はまさに母でした。19歳と違えば
いつも縁側で、耳の掃除をしながら昔話が得意でした。大分に近いので「吉四六さん」が多かったです。(キッチョムさん)

 ちょっと恥ずかしい下ネタもあって、それをよく聞かされました。

 ある時、私が投げた石が3歳上の花ちゃんに当たって、叱られるのが怖くて、納屋の2階に隠れていました。みんなが心配して探してくれて--私が飛び込んで泣いたのが 母でなく、姉の胸だったと語り草になりました。自分ではそのくだりは覚えていないのですが、姉がその話を後々まで話していたことをもう一人の姉から聞きました。

姉は、とんちのトンちゃんと言われるくらいにとんちが効いた会話をする人です。長女で頭もよかったらしく、うちは上から順番に頭がよかったようで、末っ子の私にはそのエキスがたりなかったと、気が付きました。

でも姉のとんちの良さ 次女の音楽感?を貰ってよかったです。兄たちと私はあまり共通点はない気がします。兄たちは努力家だと思います。私は努力家でも頭脳明晰でもありません。

姉は早くに連れ合いを無くし、4人の子どもを立派に育てました。

兄が、又立派なまとめをしてくれるとのこと、やさしい子どもたちばかりなので、謙虚に受け入れてくれることでしょう。
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記憶と記録。 (kaeru)
2014-04-07 10:30:11
なんとなく書いていることが記憶から出てくる糸の織物
になっていて、記録集の一枚一枚になりというのもブロ
グの妙味?

個人的な記憶のようでも同時代同じ国で同じような生
活条件で育ってきた者同士です、模様は違っても同じ
色調になっていたり、色合いは異なっていても模様が
同系であったり。

引き続きの「自分史」を楽しみにしたいます。翌檜さん
の適時なコメントも……。
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故人の話 (屋根裏人のワイコマです)
2014-04-07 10:16:06
私も昨日 東京の叔父の法事に行ってきました。
余り思い出の多くない叔父でしたが、信州に来て
飲み明かしたこと・・・車の修理のこと・・一緒に釣りを
したことなど・・話したところ、東京の従兄弟たちは
ほとんど その話を知らないで・・一生懸命に聞いてくれました
亡き故人の話を思い出してあげることも・・供養のひとつだと
改めて実感しました 高田先生のように上手に纏める
ことは出来ませんが・・そんな話も出来たら記録に
残してあげたいと思いました。
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姉への思い出 (翌檜)
2014-04-06 15:12:38
昔の苦労話
歳を重ねて来ると 昔の思い出が鮮明に思い出されますね。
親の仕事のお手伝いは当たり前の事・・・
今の子供たちに 聞かせてやりたいですが・・・(古い人間だと言われそうです・・・)

戦後の貧しい日本が 数十年で 現在の豊かな国になりました。

私も父が戦病死で(病気で戦争から帰って来たのです そして 国立療養所に入っていて数年後に他界しました)
母が姉と私を育ててくれました。
私も農繁期には 学校を休んで 田植え・稲刈り 手伝いをしました。
実家は 姉が婿を迎えて 継いでいます。
姉 夫婦が親代わりです。

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