2月15日
今日のお昼のおかずに、珍しく油揚があった。何気なく食べていて、
ふと思い出した。
田舎育ちの子供で食事のおかずに,たまに油揚があった。昭和生ま
れの戦時中のこと、結構油揚はそう何時も食べるおかずではなかった。
田舎ではお葬式の後の食べ物に,必ず油揚がでたものでした。其れで
油揚を喜んで食べる私に熱心な仏教信者の母や叔母は,口をそろえて
「武ちゃん坊さんに成ったら油揚は,毎日食べられるよ‥坊さんにな
りなさい」と良く言われました。そんなに毎日食べられるなら、坊さ
んになろうと子供の頃は思っていました。
坊さんには成らずに、教育者の道を私は選びました。然し母や叔母
さんの言った言葉と、その深い意味は今も絶対に忘れてはいません。
其れで私と妹と二人で父母の納骨を,京都の東本願寺にしました。
父母が一度で良いからと、願っていた本願寺を永久の住まいにして上
げたのです。
叔母さん(母の妹)の子は今は、岐阜の寺で住職を務めています
叔母さんも子供には恵まれませんでした。が3歳から養子で育てた子
供が立派に成長して,叔母さんの供養もしています。
おかずのふた切れの油揚から、こんな事を思い出す私でした。
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いつもコメントで励まして頂きまして、有難うございます。
油揚げのことを読ませて頂いて、いろんな思い出を辿らせて頂きました。
沖縄で1日100円生活を余儀なくされていた頃のこと。、
近くでイナリ寿司を作って販売されているお店があります。
美味しいと評判の店で、遠くから買いに来られ、沖縄では名の知れたお店です。夕方になると「千江、おいで。」と電話で呼んで下さり、もう使えない油揚げを纏めて冷凍保存して下さったものです。
ヒジキなどが海で採れるものですから、よくヒジキと混ぜごはんを炊いたり、時にはイナリ寿司が売れ残った・・・と嘘をついて下さったりしました。
油揚げを見る度に 今は亡き人になられたご夫妻を思うことです。
お互いに良い思い出が沢山あって幸せですよね。
82歳の旅人さんのバイオリンの音色はきっと美しい音を奏でているでしょうね。
どの様な人でも120年、姪っ子に言わせれば150年の寿命が与えられていると言います。
優しくなる度に命が吹き込まれるように思うのですが。
お互いに元気で愛を振りまいて参りましょう。
に毎日入ります。たぶん欠かしたことは無いのでは・・
豆腐屋さんが 油揚げと セットで置いていくのかも・・
おかずにもなるんですね・・
貴重な蛋白源で、ごちそうのわき役であったことは確かです。おからもふんだんに食べた記憶があります。
3月、両親の50回忌。早いものです。
何か質の高い小品を読んだ様な気持です。人生の時間は些事で埋め尽くされていて、だから真実はその中にあるのだと、言われているようです。
自分史とは事件史ではなく、生活史なのでしょう。
其れが私です。言い換えると,何でも屋で「する事がおおすぎるのです。」
何か一つをすればよいのにと思いつつ・・・
残された命は,僅かですのに,欲張りやがひどいのです。」
速く「仏様になればいいにに」異日まで欲張って・・・
若輩なのですが、子供頃は油揚げという
のは毎日届けて貰っていた記憶がありま
す。あの頃は、田舎育ちで食べるもには
困らなかったと記憶しております。
農家でしたので良く麦踏みをしていたの
が懐かしい。村には電気がつくのが遅
かったのでランプ磨きをやらせれていま
した。懐かしい事を思い出しました。
(●^o^●)