82歳からの旅

私の記録

 ~ 従兄弟の病気見舞い ~

2013年01月22日 07時25分51秒 | 生活
  1月26日土曜日  
 私の母方の家に私より、一歳年上の従兄弟がいます。脳梗塞の病気
で今は退院して、自宅で療養中です。それで私たちの甥の住職が、岐
阜から遠路はるばる見舞いに来るのです。

 其の住職が小学一年生の時の遠足に、私がついて行きました。その
日は叔母が忙しく私も一緒に住んでいたので高卒浪人中の私が代わりに
行ったのです。そんな事もあって私も、久振りに再会です。

 この前住職の嫁さんが来た時も、私が車で小倉から苅田の母の生家
まで送りました。
 
 23日の午後5時23分小倉駅着の新幹線で到着し、私が小倉より
車で行橋迄送り其の夜はゆくはしのホテルに2人で宿泊しました。も
う一人来る予定でしたが、僧侶で急に予定が変更でキャンセルする…
 その晩は住職の友達と、私を合わせて3人で(もう一人はキャンセル)
し久しぶりの再会を楽しみ「一文字と言う酒場」でを飲み
ました。
  
 ① 賽銭泥棒の話           

  お寺では本堂を含めて何箇所所か、人の出入りが自由に出来るよ
 うにしています。それで敷地内に入ると、ベルが鳴る様しています。

  ある日ゴトゴトと音がするので、住職が音のする処に行くと賽銭
  箱を逆さにして、中の賽銭を出していました。
 ・ 住職・・こらこら「賽銭箱からはお金は出すものではない,賽銭
  箱はお金を入れるものだ、出したお金は賽銭箱に入れなさい。」
 ・ 泥棒・・ 出した賽銭を賽銭箱の中に入れる。
 ・ 住職・・ まだ賽銭を入れてない、君の分の賽銭を……。
 ・ 泥棒・・ 100円入れる・
 ・ 住職・・ 出した罪の補い分も入れなさい。
 ・ 泥棒・・ もう100円入れる

  暫らくすると別の場所で又ゴトゴトと音がする,行って見るとさっ
  きの泥棒である、「賽銭箱からは出すものではない、入れるものだ
  とさっき言ったばかりじゃーないかね。」出した賽銭は入れなさい…
  と言って
 ・ 出した賽銭をぶつぶつ言いながら、賽銭箱の中に入れる………
 ・ 泥棒・・ 100円入れて……また100円入れる。

 ・ 叔母さんが住んでいた頃、家に泥棒が入っても家には「盗んでい
   く物は何もない、置いて行くものはあるかもしれない」と叔母さ
   んが言っいた事を思い出しました。

   ※  親子とは言え仏心のある人は、凡人とは違うと思った。
                      

 ② 飲み屋のママさんとの会話
  
  ・ ビールをどうぞ…コップを出して「綺麗なママさんの酌のビール
    は、何倍も美味しいのです」と言って私がコップを出すと、ママ
    さんも気に入って、ではもう一杯どうぞと… 更にもう一杯……
  
  ・ その日は簑島の漁港からの新鮮な、フグ料理で白子もあってとて
    もおいしいお酒を飲む事ができました。
 
 ③ 2次会 
   
    久振りの酒席で気の許しあえる会であったので、2次会にも行き
    ました。私は体力がついていけないので、一人カラオケを歌って
    付き合いました。店を出たのは12時を過ぎていた。宿に帰って
    風呂に入ったので、やっと2時半過ぎに床に就来ました。
  
 24日 10時すぎに……
    住職が子供の時に住んでいた家のあたりを、探して1時間余り歩
    きました。
     最初に今は亡き友達の寺に行き、本堂の中を眺めていました。
    そうしてここで、先代の住職がこんな事をしてくれた等……
    懐かしそうに話乍……… 寺の様子を見て甥は、今は亡き友を想
    い大変寂しそうでした。

         …………それから故郷の探検です………

     30年も経っているので家々の表札を見ても変わり、まるで浦
    島さんみたいだった。
     故郷を見るのもこれが最後だと思うと、仲々去りがたく何時ま
    でも、心の中の何かを探していました。
     私は歩き疲れて途中休みましたが、甥は一軒一軒玄関まで行っ
    て表札を見、人がいればおさな友達の名前を言って故郷を訪ねて
    回りました。

     やっと自分が住んでいた家のあたりを見つけましたが、昔の様
    子は少しもありませんでした。
     甥は自分の年老いた今を、再確認させられる様でした。私も一
    緒に住んでいた事もあって、甥の気持ちと変わりませんでした。

     住職が伯父の見舞いに行ったのは、其処から30分ほどの処です。
    ついたのは11時半過ぎでした。私の妹も誘って一緒に従兄弟の見
    舞いに同席しました。
     
     伯父は大変喜んで、感涙の涙でむせぶほどでした。別れる前に
    伯父と住職とが交わした手紙を、従兄弟は不自由な身で伯母に伝
    えて書類を甥に渡しました。それで伯父は大きく息を吸って、何か
    一 安心した様な様子でした。
     
 
     その様子を見て今回甥を案内した事は、大変良かったと思った。
    最後に皆で御馳走をいただき、懇談をして従兄弟の家を後にした。

   午後2時ごろから   
          …………限りなき男の友情…………
     おさな友達で今は亡き人の家を訪ねる事にした。車で一時間ばか
    りかけて、下曽根駅の近くのマンションの家にお伺いした。
     奥さんが迎えてくれたので、そこで挨拶をしてから仏壇に向かい
    甥の住職が「お経をあげました。」それから暫らく懇談しました。
     遠路岐阜より遥々北九州市迄来て、しかも大切な時間を割いて来
    る「男の友情に」奥さんは大変喜んでくださりました。私も「曇り
    ない美しい男の友情を」目の当たりにし、涙が出る程感動しました。

    四時半過ぎにお暇して行橋迄送って、それから我が家へ帰った。

    今日一日は心の通った、一日であった「さすがは寺の住職との一日
    であったし、私の人生いの中で「心の大洗濯の日」でもあったと思
    う。
     何だか心がすっきりした様な気がします。昔の人はこんな事を
    良くしていたことだろうと思う。

     私の生涯の一つとして、甥と私との感慨深い思い出深い一日に成る
    と思った。
     
    古き良きものをどこかへ、捨ててしまったのでしょう……… 
     
         







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2 コメント

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Unknown (よかったさん)
2013-01-26 23:39:14

岐阜の住職さんのことは、ちいねーさんが兄妹4人旅をなさった時のブログでよく存じ上げています。
お兄さんの発案でいかれたということでしたね。
ご病気の弟さんの将来をこの住職さんに託され、皆さんが安心なさったのでしたね。

はるばる岐阜から、こんどは伯父さんのお見舞いに。心が届いていらっしゃいますね。
おにいさんがずっとご案内なさって楽しいお時間を過ごされたとのこと、
昔の住まいを訪ねたり、旧友を訪ねたり、飲んだり、歌ったり、、よかったですね。

お兄さんがも素敵ですが、住職さんも人間ができていらっしゃいますね。
賽銭泥ボーのはなしには驚きました。嘘のような 本当の話ですね。


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久しぶりですね (鹿児島の妹)
2013-01-27 04:40:23
体調を案じていましたが、病院の検査は行ったのでしょうか?穣さんが見舞いに帰られて、あちこち案内も大変だったでしょう。お互い年をとっても元気なころのつもりで甘えてしまいますが、案内役は大変だろうと察します。
としおさんが泣いて喜ばれて、もうそんなメンバーで顔を合わせることもないのではと思います。

昨日は在宅医療に取り組んでいる先生の話を聞いて、目の前に色々な人を思い、自分も含めて、きちんと学習しておきたい問題です。会うたびにそれぞれが弱っているのを感じて みんなで共通の認識を持つことも必要ではないかと思うことでした。
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