












弟が交通事故によって,横浜市立みなと赤十字病
院に、入院したのは21年1月19日でした。私が事故の
知らせを受けたのは,1月23日午後4時過ぎでした。
横浜赤十字病院の医師藤沢先生からで、電話で事故
での怪我の概要を知らされる。
その後26日電話で、頭のレントゲン写真の結果が
27日に解るので,27日に病院に来て欲しいと言う
事でした。
1月27日弟が入院している、横浜赤十字病院に
行った。
医師より、生命は今の処、安全の様です。その他
の状況について説明を、聞く
病院より
1 ここは救急病院なので,行く先を早く決め
欲しいて?・・・
2 病院の治療費は,車の保険・市の保険証?
で払うのか?
其れについて,北九州市と千葉県木更津市と離れ
ているので、殆ど行き来が無くて返事が出来な
い旨を伝える。
事故の後始末について,しなければならない。
事故の状況の把握、・警察との連絡と・・
事故車の処置 保管場所他・その始末
車の保険について・・解らない事ばかりでした
初めての土地で,処置は大変でした。
弟は事故で,対応できませんでした。其れで私が手
探りで、一つ一つ解決するしか有りませんでした。
・・・ 以下省略・・・


















相手のある事故から・・今回のように人身事故から
そしてその保険も、自賠責保険から 任意保険から
そのほかにも共済や生命保険、傷害保険等・・
近くの保険コンサルにお願いするのが一番と・・
思いますが、それを個人方がなさるのは・・非常に
大変で重荷だと思います。 お察し申し上げます。
ビックリしたのは部屋ではなく 看護婦詰所の前にカーテンをつけて、寝かされていたこと。
理由は、病院を抜け出して帰ろうとするからだとわかりましたが。
それでも大病院が、あのような扱いをするのはとても悲しいことでした。
今思うと認知症の症状でも、人間の尊厳に関することへの本人の自覚。プライドは健康状態と関係なく強いものがありますね。
きっと辛い日々だったと思います。
日赤病院ではいろいろありましたが、勉強になったと思えば、と思います。
あの後のご苦労はかいても書きつくせないと思います。
ここまで兄弟でできていることは、天国の両親もきっとよろこんでいるに、違いありません。
源治兄には、今の現実を受け入れて なるべく穏やかな気持ちで過ごしてもらいたい。
私があったときは、いつも穏やかで、動き回るわけでもないし、身の回りの世話は施設にお願いするしかないので、そこでの摩擦が少なく過ごしてほしいものですね。
一番気を遣っているのは、武兄さんだから、えらそうなことは言えませんが、あまりかわいそうだとか、自分がその分とか思いすぎないでほしい。今までのことはともかく、これから施設をどうつないでいけるのかが気になります。いつまでそこに置いてもらえるのでしょうか。