おはようございます!
今日は、何の日??
中秋の名月と、十三夜の月の両方を同じ場所で眺めるのがよいとする言い伝えもある。
さて、09紅葉シリーズ2!
今回は、大又渓谷へ行ってきました。
紅葉情報によりますと5分咲き??ということなので・・・
途中に神社が・・・・
丹生川上神社・・・
当神社の御祭神「罔象女神(みづはのめのかみ)」は、水一切を司る神様で水利の神として、又は雨の神として信仰され、五穀の豊穣に特に旱続きには降雨を、長雨の時には止雨を祈るなど、事あるごとに心からなる朝野の信仰を捧げ、水神のご加護を祈ってきました。
今を去る事千三百年余り前、第四十代天武天皇白鳳四年(675年)「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」との御神教により創祀せられ、雨師の明神、水神宗社として朝廷の崇敬は殊の外篤く「延喜式」(927年)には名神大社に列せられ、又平安時代中期以降は、祈雨の神として「二十二社」の一つに数えられました。祈雨には黒馬を、止雨には白馬又は赤馬を献じ朝廷の特に崇敬する重要な神社でありました。763年より応仁の乱の頃までは朝廷よりの雨乞い、雨止めの奉幣祈願が九六度されていることが記録にみられることからも当社がいかに重要な神社であったかが伺えます。しかし、都が京都に遷り戦国時代以降はそのような祈願も中断され、丹生川上雨師神社もいつしか蟻通神社と称され、ついには丹生川上神社の所在地さえ不明となってしまいました。明治維新となり、丹生川上神社は何処かという研究調査が行われ、明治四年丹生村(下市町)、続いて明治二十九年川上村の神社が、夫々有力視され官幣大社丹生川上神社下社、上社とされました。蟻通神社こそが丹生川上神社だと大正十一年、当村出身の森口奈良吉翁の精緻な研究調査により丹生川上神社中社として官幣大社に列格され、ここに従来の二社は三社になったが、官幣大社丹生川上神社としては一社であります。そこでこの神社の社務所を当社に移して、下社、上社を統括して祭務を行ってきましたが、戦後神社制度の変遷により今日では三社別々の神社となったが、当社は「丹生川上神社」と登記されています。
雨乞い・・・
雨止め・・・
まずは、手洗い・・・
なでふくろう~~
もちろん、なでまして・・・・
美味しいお水がありました^^
掬い上げて・・・・・
コップが置いてあるので、それで飲みます。
美味しいよ
丹生川上神社http://www.niukawakami-jinja.jp/index.html
そこから奥へ、紅葉を求めて
途中に、滝がいっぱいありますが・・・・
とにかく道が狭くて、止めれません・・・
この滝くらいです、停めれて見れたのは
1~4の滝・・・
同じ場所から、5~6の滝・・・
これは、6??
7の滝~~
とにかく、水が澄んでて綺麗やったですわ。
しかし・・・
肝心の紅葉は、全くまだ
緑鮮やかでしたわ
ここ1か所のみ~
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20081030