原発事故で避難指示が出た学校に勤務する教員が家族で筑波の方へ避難したという話を聞いた。その教員家族が住むのはオレと同じ町の中心部で避難指示も屋内退避勧告も出ていない地域である。個人がどういう行動をしようと勝手だし子どもを安全なところに避難させたいと思うのは親として当然だからガソリンがあるなら逃げたらいいと思うけれど、自分の教え子たちが近隣自治体の避難所で不安で不自由な生活をしているというのに、自分の仕事を投げ出して、自分だけ家族を連れて安全なところに逃げるという行為は、オレにとっては美しい教師の姿ではない。オレにとっての美しい教師は自分が被災していないのなら、自分のことは後回しにしてでも子どもがいる避難所を回って元気づけるとかボランティアをするとか、そういう教師なのだ。、、、でも現実にはそんなセンセイは少ないのかもしれねぇな。ちょっと寂しい。
これが役場職員だったらどうだろか。役場職員がまだ避難していない住民がいるのに、自分と家族だけが安全なところに避難したら住民は怒るだろう。それは教職員だって同じ事だろうと思う。本当に極限状態になった時に自分が逃げずにいられるかという自信はないけれどそういう思いでいる。しかしそういう意地のようなものだけが様々な公務員バッシングに対する答えなのではないかとオレは考えている。かっこいい事を言うつもりはなく、単なる意地である。だからオレは意地でも仕事に行くつもりだ。
繰り返しになるが逃げる手段があって、世話になれる場所があるなら逃げたらいいと思う。しかし数日で事が解決するような状況ではないと思うから子どもを転校させる覚悟がなければ本当の避難にはならないだろう。そして生まれたこの地で死んでもいいという覚悟はつまり、この土地に原発建設を許してしまった県民の一人としての責任とも言えるかもしれない。だから決して石原都知事が言う天罰などではないのだ。
これが役場職員だったらどうだろか。役場職員がまだ避難していない住民がいるのに、自分と家族だけが安全なところに避難したら住民は怒るだろう。それは教職員だって同じ事だろうと思う。本当に極限状態になった時に自分が逃げずにいられるかという自信はないけれどそういう思いでいる。しかしそういう意地のようなものだけが様々な公務員バッシングに対する答えなのではないかとオレは考えている。かっこいい事を言うつもりはなく、単なる意地である。だからオレは意地でも仕事に行くつもりだ。
繰り返しになるが逃げる手段があって、世話になれる場所があるなら逃げたらいいと思う。しかし数日で事が解決するような状況ではないと思うから子どもを転校させる覚悟がなければ本当の避難にはならないだろう。そして生まれたこの地で死んでもいいという覚悟はつまり、この土地に原発建設を許してしまった県民の一人としての責任とも言えるかもしれない。だから決して石原都知事が言う天罰などではないのだ。
学校裏山の崩落お気の毒です。そしてケガ人がなかったことは不幸中の幸いです。
はっきり言って放射能を浴びたくはないし、子どもたちを遠くへ避難させたいというのが正直な思いです。しかし原発で命がけで働いている人に比べたら、かなり安全なところにいるわけですし、オレの覚悟など小さいと思います。
がんばろう。
避難民の方々はお客さんですが、病人ではないので自治活動というか自分でできる事は自分でやってもらうことが長続きの秘訣だし、新たな町づくりにつながるのでしょうね。
もしかしたら三春に仮設住宅ができて三春町民になっちゃったりして。
避難している皆さん、ほんとにきちんとしている方々です。
三春町民になっていっしょにまちづくりしてほしいと思ったりもするんですよ。
娘三人と母親、夫を埼玉のおばのところに避難させたとのこと。
なぜ一緒に行かなかったのか聞いたら、「私は村民とともにいます」と言っていました。
彼女の勤務先は老人福祉施設。お年寄りを置いては行けないと。
彼女は公務員ではないけど、すごくかっこいいと思いました。
自分も仕事に向き合う気概が問われているような気がしています。小さな意地をもって現場にこだわりたいと思います。