takubonpapa blog

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オレらに何ができるかという話しをしよう

2013-12-26 23:32:11 | 社会
 そういえば職員室で下品な話をしているエラそうな人たちがいた。その人達は憲法・教育基本法・学校教育法で規定された生活保護および就学援助を正確に理解していないようで、保護や給付を利用している人たちに直に聞いた訳でもなく、見た訳でもないくせに勝手に決めつけて、保護や給付を利用している人たちのことを蔑む態度は公務員としての品格をうたがってしまう。あんな人たちと同じ空間にいることが恥ずかしくなった。


彼らの発言を要約すると

・生活保護を受けて生活している人たちは怠け者
・生活保護や就学援助は施しという認識
・武士は食わねど高楊枝という気高い武士道精神が今の日本人には足りない
・権利を主張するのは卑しいこと
・保護や給付をもらえるのがあたりまえという感覚が浅ましい
・もらえるものは何でももらうという卑しい日本人ばかり

 1人で年収800万円、夫婦で1500万円の収入がある彼らは今後の人生で生活保護を利用することはないだろう。もしそういう生活に陥ったとしても、気高い武士道精神によって生活保護よりも餓死を選ぶことだろう。

 そして、浅ましい日本人を育てたのは自分以外の教員達で、日教組に加入している聖職者ではないサラリーマンに成り下がった機械的労働者なのだという持論につなげていくのだった。(成り下がったとはサラリーマンに対して随分失礼だが、自分は上から目線の聖職者であってサラリーマンではないらしい。)

 更に持論を展開し、そういう機械的労働者教員だから子どもや保護者の信頼を得られず学級が崩壊してしまうのだと。その場にはいなかったが暗に学級が大変で困難を抱えている教員を名指ししているようであった。学級担任をしなくなって25年が過ぎようとしているその小さくてエラそうな人は、自分が絶対に学級担任にならなくていい安全地帯から高見の見物で、教育の最前線で必死で働く教師を上からの指示でしか動けない小役人が見下して評論している様はまことに滑稽であった。25年以上前にどれほどすばらしい聖職者だったかは知らないが、当時は若いというだけで子どもがついてきただろうし、子どもも保護者も学校も今とは違ったという認識は全くないらしい。

 つまり彼らの会話はスティグマを作る教員が聖職者なのだと言いたかったのかな。そしてスティグマを作ってレッテルを貼ることが美しい日本人ということなのかな。「美しい日本人」って安倍コベがよく言ってたような気がするんだけど、教育基本法を改悪した安倍コベの教育観と同じじゃねえかな。大日本帝国憲法と教育勅語・修身を崇拝しているのかな?。

 福島県民にはスティグマが染み付いているから、彼らの主張が理解できない訳ではない。しかし公務員がそんな下品なことを口に出してはいけないとオレは思う。
 いくら職員室で世間話し程度に嘆いてみても、社会問題をおもしろおかしく取り上げて消費しているだけのテレビと同じで現実は何一つ変わらない。
 オレら現場にいる人間は自分が関われる範囲の課題についてどれだけ具体的に現実を変えられるか、実践レベルで物事を見て考えて行動する必要があると思う。職員室で世間話しをしているヒマがあったら、そういう親に説教をしてみるとか、指導力不足の教員がいたら評論や指導ではなく具体的な手助けをするとか、子どもに貧困が連鎖しないように生きることや働くことの楽しさを教えるとか自分にやれることを考えたらどうだろう。それができないのなら黙って唯々諾々と上からの指示に従っていればいい。
 評論や後ろ向きな話しではなく明るい未来に展望が持てるような、学校で働くことに誇りを持てる前向きな会話ができる職員室にしたい。
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