takubonpapa blog

 日常の出来事や感じたこと、Mac、バイク、キャンプ、さだまさし等について書いてます。

「こなす」という仕事感

2005-07-10 00:22:00 | 教育
 先日福島大学の境野先生にしばらくぶりでお会いした。近年の教職員の多忙化を見てただ仕事をこなすだけの仕事にさせられているという話を聞いた。「こなす」という仕事は与えられた仕事を、右から左へ処理するだけの、「やっつけ仕事」ともいえる仕事であると思う。
 本来アカデミックな仕事は自由で創造的であるべきだと思う。またそうでなければ本当の教育はできないと思う。
 つまり管理と評価と多忙化でがんじがらめにされたままでは学校が教師が死んでしまうと思う。

 近くの小学校で新採用の教師が最近退職した。新卒でまじめな人だったと聞いている。「最近の若いもんは我慢が足りない」とか「教師に向いてなかったんだ」と言う方もおられるかも知れないけれど、4月に夢と希望を持って赴任して3ヶ月で辞めていく学校ってどうなんだろう。校長に責任はないのだろうか。上からの押しつけをまじめにやろうとする人ほど、悩んで挫折して辞めていくような気がしてならない。
 学校事務職員で考えれば、ただの事務処理屋ではなく単なる行政マンでもなく、人情味があって創造的な仕事にすることができると思う。近年経営参画とか経営スタッフとか組織マネージメントとか言われているけど具体的に現場でどんなことをするのかが見えない。カリキュラム経営に参画して教師と子どもを財政的に管理する側に立つのか、教職員集団の一員として子どもを真ん中に子どもを管理するのではなく主体性を育てる学校にするために財務の面からアプローチする側に立つのか、我々の考え方一つでまったく違った方向に行ってしまうこともあると思う。
 あと5年もしたら学校事務職員制度はどうなってしまうのだろう。公立学校そのものがどうなってしまうのか展望がもてない状況だけれど、日々の実践の中に光を見いだしたいものだと思う。
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