「害虫駆除のブログ」有限会社 タマケアビジネス。

害虫・害獣にお困りの方のお役に立てればと邁進しております。日日の出来事・アドバイス・季節の先取り等の情報を流しております

「小石川後楽園で探した 素晴らしい内庭(うちにわ)」

2016-02-24 11:05:45 | 茶花
「小石川後楽園で探した 素晴らしい内庭(うちにわ)」



水戸藩の書院が有った場所 昔は唐門によって仕切られていた。大泉水の「後園」として分かれておいたというが、これだけでも立派な大名庭園です。島に渡れる橋が掛けられ違った雰囲気をかもし出していますその奥に東門が控えている寸法です。書院の人(来客)たちの庭のような造りのようです  奥に見えるのが東京ドームです

冬咲き木瓜です

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「コッペパン」はご馳走だった

2016-02-24 09:31:26 | うんちく
「コッペパン」はご馳走だった

仲間との話の中で「昔話が出てきた」戦後の小学生はモンペに草履履きで学校に来たり、4年生になると「だるまストーブ」の回りに弁当が一杯暖めてあった、その後に(脱脂)牛乳が配布されてきた。

脱脂牛乳が飲めないと、農家のせがれなどは「生でないトナー」とか言って窓から捨てるヤツもいた、先生に見つかり怒られたものだ。

昭和に育った者にとってコッペパンはご馳走だった。我々がその姿を目にしたのは小学6年の頃で、確か10円位だったかのー 今は見向きもされないが

小腹が空いたら、お袋にねだって買ってもらった、縦半分に切ってイチゴジャムを載せる。口当たりが甘くて、戦後の食生活の中では異質な食い物だった。

そのうちに、バターが出てきた、間にスーとバターが塗られ大人の味だった。次がバターピーナツだった。これも甘くてピーナツの匂いがして美味しかった。

なんせ、当時はお菓子なんて無く、学校帰りに柿を取ったり、栗を取ったりして,キュウリを取ったりして飢えをしのいでいたのだ。

昭和27年当時の物価は1ドル360円 もり蕎麦17円 バター(200g)220円

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