「害虫駆除のブログ」有限会社 タマケアビジネス。

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長~い決着 滋賀の85センチ個体が優勝

2016-02-26 09:26:38 | ニュース
長~い決着 滋賀の85センチ個体が優勝

滋賀、石川、福井の3県でしか生息が確認されていない日本最長のミミズ「ハッタミミズ」の最長の個体を見つけようと、「全国ハッタミミズダービー」が初めて行われ、滋賀県甲賀市水口町の湿地で見つかった85センチの個体が優勝した。

ダービーを提唱した同県立琵琶湖博物館(同県草津市)は今後、長さの記録や見つかった場所を認定する「ハッタミミズコミッション(仮称)」の立ち上げも準備中で、引き続き情報提供を呼び掛けている。

 ハッタミミズは粘土質の土の中を好むとされ、滋賀、石川、福井の3県でのみ生息が確認されている。近年では、滋賀県で目撃される事例が多く、昨夏には、甲賀市内で日本最長記録となる96センチのハッタミミズが見つかった。しかし、環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に指定されており、詳しい生態はいまだ分かっていない。

 個体の長さを競うハッタミミズダービーは、平成25年6月から同博物館が、県内を対象に開催していたが、ハッタミミズの名称の由来となった八田町がある石川県が「挑戦状」を送り、初めて“全国”大会が開かれた。募集は、昨年5~11月に行われ、約10件の応募があった。しかし、証拠写真の撮り忘れなどで失格となった個体もあり、結局、滋賀、石川から寄せられた3体で長さを競うことに。

 滋賀県甲賀市水口町松尾の湿地で甲賀市みなくち子どもの森自然館の学芸員が見つけた85センチの個体が、2位以下の70センチ台の個体を引き離して優勝。今年2月に正式に発表された。

このニュースも驚くが、家庭の芝生の下には梅雨時30cm程度のドバと言われる太くて長いミミズもいますよ。のどかなニュースで結構ですが、最近幼児虐待やら殺人事件が多く感じられます、道徳の欠如か起因するのでしょうか

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「多摩で探した ももの花芽」 八王子.堀の内

2016-02-25 10:36:18 | 茶花
「ももの花芽」 


今朝は雪でした 南側は「雪が降ったの」という感じでしたが、旧多摩テックの辺りの木々に

は枝先が白く、雪が積もり「春の樹氷」と感じました。景色に見とれ写真を忘れました。事務

所からガラスを空けたら冷気が飛び込んできました。我慢して3枚ばかり接写の速射で、ピン

クかかる花芽が見えますか、

<殺人ダコ>危ない! ただいま日本海、北上中

2016-02-25 09:31:52 | ニュース
<殺人ダコ>危ない! ただいま日本海、北上中
ヒョウモンダコ
 

浅い海に生息する小さくて美しい色をしたタコの仲間です。タコの仲間には唾液腺から毒を分泌し、カニなどの餌となる生きものを麻痺させて捕食するものが知られています。

ヒョウモンダコのもつ毒はフグ毒(テトロドトキシン)で、このタコに咬まれると呼吸困難などを起こして死ぬことがあります(オーストラリアでは死亡例も…)。 

ヒョウモンダコは普段黄土色から茶褐色をしており海底の岩に溶け込んだような色をしていますが、刺激を受けると腕に青く丸い斑紋と胴体に青くスジ状の斑紋が浮かび上がります。

噛まれた時は

 傷口から毒を吸い出し、刺された部位と心臓の間で圧迫し、毒が全身に広がらないようにします。毒は飲み込むと危険なので、口で直接吸い出すのは止めましょう。その後、安静にさせて病院などに運びます。

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「小石川後楽園で探した 素晴らしい内庭(うちにわ)」

2016-02-24 11:05:45 | 茶花
「小石川後楽園で探した 素晴らしい内庭(うちにわ)」



水戸藩の書院が有った場所 昔は唐門によって仕切られていた。大泉水の「後園」として分かれておいたというが、これだけでも立派な大名庭園です。島に渡れる橋が掛けられ違った雰囲気をかもし出していますその奥に東門が控えている寸法です。書院の人(来客)たちの庭のような造りのようです  奥に見えるのが東京ドームです

冬咲き木瓜です

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「コッペパン」はご馳走だった

2016-02-24 09:31:26 | うんちく
「コッペパン」はご馳走だった

仲間との話の中で「昔話が出てきた」戦後の小学生はモンペに草履履きで学校に来たり、4年生になると「だるまストーブ」の回りに弁当が一杯暖めてあった、その後に(脱脂)牛乳が配布されてきた。

脱脂牛乳が飲めないと、農家のせがれなどは「生でないトナー」とか言って窓から捨てるヤツもいた、先生に見つかり怒られたものだ。

昭和に育った者にとってコッペパンはご馳走だった。我々がその姿を目にしたのは小学6年の頃で、確か10円位だったかのー 今は見向きもされないが

小腹が空いたら、お袋にねだって買ってもらった、縦半分に切ってイチゴジャムを載せる。口当たりが甘くて、戦後の食生活の中では異質な食い物だった。

そのうちに、バターが出てきた、間にスーとバターが塗られ大人の味だった。次がバターピーナツだった。これも甘くてピーナツの匂いがして美味しかった。

なんせ、当時はお菓子なんて無く、学校帰りに柿を取ったり、栗を取ったりして,キュウリを取ったりして飢えをしのいでいたのだ。

昭和27年当時の物価は1ドル360円 もり蕎麦17円 バター(200g)220円

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