Truth Diary

宮城県沖地震から45年

 今日12日はは宮城県沖地震発生から45年を迎える。当時は転勤で石巻市に居た、仕事中で会社の建物に居たので鉄筋コンクリート造りの頑丈な建物だったので大丈夫だったが大停電が発生その被害確認集約に徹夜で駆け回り翌日遅く帰宅した。
 小学低学年の子等家族は無事でホットしたが、木造の社宅は大きな揺れで家具が転倒しそうで大変だったとの事。
 ライフラインを生業とするのでこうした災害時は家庭をかえり見ることはまずできない家族に任せてただ無事であってくれと祈るしかできない因果な仕事だ。
 発生二日目から各地からの災害復旧応援隊の受け入れ現場案内とこれまた復旧が完了するまで休めない。各地から駆け付けてくれた応援隊は心強く有難くその使命感に感激しつつ同じ生業の絆を感じた事を思い出す。
 現地の事ばかりで仙台でブロック塀倒壊による悲惨な事故があった事を知ったのは落ち着いてからだった。一時流行ったブロック塀、手抜き工事で倒壊を防ぐ鉄筋が入っていなかった事が悲惨な死亡事故につながった事は残念でならない。
 その後地震と言えばすぐに宮城県沖を思い出しその対策としては家具転倒による事故防止を主に対策してきたがまさか東日本大震災のような超巨大地震に生きている間遭遇するとは考えもしなかった、そして付随した巨大津波により前代未聞の死者をだす大災害に、抗う事の出来ない自然の脅威を想い知らされたのは記憶に新しい。

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