一昨日、福島県土湯温泉で高校の同級会が開催され出席してきた。
彼の地は高校1年生の時空手道部で合宿した懐かしい処でもありそれら思い出の地をたずねてみた
。極貧学生だったので、旅館に泊まってなどという事は、どだい無理なので、顧問の先生が空いていた民家を借りてくれて、私たちは自分の食い分として各自米を袋に入れ鍋、釜とともに持参するという山賊スタイル。
おかずは缶詰めなどで間に合わせていたら、近所の人が見かねて野菜、魚など差し入れしてくれた人情溢れる時代。最年少の私ど同期2人で炊事当番。連日体力の限界までの厳しい修業に、食べ盛りの空腹感は満たされなかったが精神面は十分満ち足りていた。創部間もない頃で、顧問の先生が寺の住職に依頼し木綿布に忍と揮毫してもらった部旗を得意になって翻し、部歌を蛮声張りあげ歌いながら湯の街を大手を振って闊歩し、バンカラそのものに酔いしれていた青春時代。
空手の稽古の合間には近くの野山を散策、男沼、女沼、思いの滝などロマン溢れる名称の場所で、無頼な少年たちは厳しい稽古をしばし癒しながら多感な時を共有した。男のロマンで粗食に耐え苦しい合宿を終えたのであった。
創部メンバー、旗を持っているのが若かりし日の筆者、左が主将Yさん、右が同期のB君同じ処の橋
水しぶきを受けながら、3年生主将、Yさんのありし日の勇姿
同じ堰堤流れは今も同じ
女沼をバックに、左から3人目が筆者
クマササが茂り様相が少し変化した沼のほとり