Truth Diary

4年前も寒い日

 あれから4年、早いものだと思う。放送大学宮城学習センターの実習室で今まで経験したことのない大きな揺れを感じテーブルの下に身を隠した。
 中々揺れが治まらず、早く止んで欲しいと必死に願ったと同時に、その少し前にニュージーランドのクライシスとチャーチで地震の為煉瓦作りの古い校舎が崩壊多数の日本人留学生が犠牲になったことが頭に浮かんだ。と言うのも、今いる建物は約100年前の記念物になりそうな古いふるい煉瓦造りだと聞いていたから。(実は東北帝大の生物学教室として大正12年、当時珍しい鉄筋コンクリートで建てられたものと後で判明)
 ここで自分の人生は終わりを告げると覚悟した。背後の書棚からは本がバタバタと降ってくるなかじっと身をひそめて我慢すること数分。崩壊するはずの建物が持ちこたえ地震が治まった。
 すぐに家の事が心配で早速車で自宅を目指した。途中何度も大きな余震があり、建物から飛び出し空を眺めている人がたくさんいた。橋の処では大きな段差が出来ていて、危なく段差にぶつかりそうになり急停止しながら自宅に到着。
 玄関を入るといろんなモノが散乱しており危ないので土足のまま入る。その後の事は省くが、それまでつけていたブログはこんな事を書いて何か皆の為になるのかと無力感におそわれ約1か月休んだ。
 ボランティアをしない人は国民にあらず的な風潮のなか、何かしなければと思いながら無力な自分に罪悪感を抱き、不甲斐なさに苛まれた。ボランティアで自衛隊からの救援物資搬送の手伝いに行ったがギックラ腰を発症、約2週間自宅ベットに臥せ震各地での災支援報道を聴きながら何も出来ない良心の呵責に苛まれた日々を送った。
 周りでは皆さんがボランティア活動をして助け合っていたのに。一刻も早く困っている人達のお役に立ちたいと思った。その後の報道からしてみると、復旧には長い時間がかかりそうなのでそんなに焦って活動しなくても十分に間に合いそうだったのだが。
 数年単位での永い支援活動は必要だと感じて焦りはなくなった。そして今の現状がある。4年経った今でも未だ復興途上にある処が多い。不幸な事ではあったが人同士のやさしさ、思いやり、忍耐力、逞しさを実感できたことは災禍の中での救いと共に得難い収穫だった。人間の強さすばらしさを思い知った不幸な出来事だ。

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