Truth Diary

父の日によせて

 近年タカラジェンヌ等に私と同じ名前の人が出てきて、ようやく陽の目を浴びてきたせいか、氏名ばかり見て、「女性で無かったの」とがっかりされる事がある、きれいな女性を連想するのは勝ってだが私の知るところではない、残念でしたおあいにく様。この名前は俺の方がずうーっと先輩なんだと憤慨することもあるが、チョット誇らしさもないわけではない。
 命名のいきさつは、第二次大戦終戦の約一年前、私が母の胎内にいた時に、農家の長男で戦地征きを猶予されていた父がどうにもならなくなった戦況から、三十路を過ぎて2度目の召集をうけ敗戦色の濃くなった中国戦地に出征することになり、周りから「せめて子供に名前をつけて往け」と言われて、つけてくれた名前だと母から聞いた。
 当時は男女の別など事前に分かる現代とは違い、男女どちらでも好いようにと考えて付けてくれた名前だ。まさか70年後にタレントなどに好んで使われるとは思ってもみなかった事だろう。
 私の同級生等には、挽回困難な戦況に何とか奇跡をとの願いを込めた勝、勝利、守、国雄などという名前がほとんどで私のような女々しい?名前は誰一人いない。
 父は自分は戦地で果てるかもしれないが、世の中の情勢に惑わされず自分の思いを込めた名前を付け、そのような華やかな名前が陽の目を見る平和な時代がきっと来る、て欲しいとの望も含めて名付けたに相違ない。
 国家存亡の危機、本土決戦も辞さないと竹槍持ち覚悟を決め狂乱状態になっていた時代だ。そんな時に醒めた見識を捨てなかった事が素晴らしいと思う。田畑を耕しながら本を読み、書を書いていた父はそうした時代の趨勢に迎合しないい一本芯持った人間だったのではなかろうか。
 子供の頃、私は見向きもしなかったが豪華本の文学全集が家に残っていて、墨痕鮮やかな書が家や神社に奉納され残つている。父に似ず本を読むことが嫌いだった私はとうに父の没年齢を越えてから少しずつ本を読むようになった。しかし書道はからっきしダメで、鬼っ子である。
 父が戦地から母(祖母)宛に軍事郵便をよこしたのが残っている。家族には何もしてやる事が出来ず(戦地にいるので)軍務に精励するのみ後のことはよろしく頼みます、眞琴も2歳の春を迎え大きくなった事だろう、百姓向きの丈夫な子に育てて欲しいと筆で書かれていた、三十路には思えぬ程熟練された見事な墨蹟だった。
 かろうじて丈夫ではあるが父が望んだ百姓を継がない親不孝な息子の今がある。天国から自分の意志を通し自由気ままに生きている事は理解してくれるだろう。こうした時代の到来、その礎を作ってくれた方々にひたすら感謝。後編は今の父についてを書く。実は地元新聞の読者投稿欄の「父を語る」の投稿をしたのだが、ボツになりその原稿を載せてみた事を白状しよう。

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