Truth Diary

半世紀前の 下宿先が

  今日は仕事で、約半世紀前に勤務で居たことのある、大崎市松山町、美里町、涌谷町などを周って来た。松山町は新入社員の寮生活から、小さな事業所に転勤になり、下宿生活をスタートした場所だ。約50年前の松山町は東北本線沿いで仙台の通勤圏として今よりも活気があった。古川を離れ新しい仕事にチャレンジ下ばかりの私は、、町内の人たちの一人一人の顔ははおろか、家族構成、飼い犬飼い猫まで分るようになり、同時に地域の方々も私を知って下さっていた。、小さな町で、若かったから出来たことなのだが、今そうした当時の能力を恨めしく感じるのは、純で一途な真剣さが失せたばかりでなく、滲み出てくる老獪さと記憶力の低下に所以がある。社会人をスタートした大崎市(古川)と松山町は私の原点である。その下宿屋が懐かしくなり行ってみたら、震災で壊れたまま手をつけずに無残な廃屋となっていた。

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