Truth Diary

普段着感覚の功罪

最近文藝春秋の私のベストエッセー集を読んだ中に作詞家の阿久悠さんの「普段着のファミリー」という作品があった。全文は紹介できないので自分なりに感じた点を要約し個人の意見も加え披露します。

マイカーの普及で室内着にサンダル履きで何処へでも出かけられるようになった。フォーマルな場所もしかり。以前は公共交通機関を利用するので、まず外出用に着替えていく場所にふさわしい服装をしたものである。昔の人は一寸タバコを買いに外出する場合でも服装には気をくけた人が多かった。ましや東京などへ行く場合はホントノよそ行きを着て出かけたものである。現在はマイカーに乗れば家の中の格好でサンダル履きでも東京でも何処でも行けるようになった。

服装を考慮して出かけたから、振る舞い気持ちもその場にふさわしいものになったが、現在はどんな場所にいっても普段着感覚が抜けないらしい。マナー違反や、傍若無人の振る舞いが罷り通っているのが嘆かわしい。そうした例が今回の冬季オリンピックスノーボード競技の国母選手の服装ではないか。諸外国の皆さんにどのように映るか元現役選手の橋本団長は競技は結果が全てだと身をもって感じている人だからこその、苦渋の決断をしいられたようだが、大相撲でも引退した朝青龍などこの類にはいるのではないか。
 私の現役時代は、服装の乱れは一番に注意された、それは気持ちの乱れをよび規則を守らずに不安全行為につながり、労働災害や重大事故につながりかねないからであった。先ずお互いに服装のチェックをしあうことから始まる。これは安全の鉄則である。その場にふさわしい行動、言動は先ず出かける時に肝に銘じるべきである。いくらマイカーで直接乗りつけるにしてもTPOを考えようではないかと感じた次第である。

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