この冬一番の寒さがくるとかで、早く起きて薪ストーブに火を焚く。焚き付けはすぐ前に杉の木がああるので枯れた杉の葉(当時福島ではスギッパと呼んでいた)と、町内会の清掃で街路樹の下を清掃した時のケヤキの枯れ枝だ。マッチ一本ですぐに火が付きたいへん重宝する。薪は実家から戴いて来た廃材で、これは木材を粉状にした集積材なので爆ぜることもなく、煙も出ない優れものだ。
ストーブの炎を見ながら、小学生時代、ダルマストーブで教室を温めるため各自拾った杉葉を持参しストーブ当番をした事を思い出した。燃料は石炭でこれになかなか火が点かず苦労したものだ。そして各自持参したアルマイトの金属弁当箱をこのストーブで温め昼ご飯としたものだった。温まってくるとオカズとして入れた沢庵の匂いが教室中に充満したことを懐かしく思い出す。
まずしかったからロクなオカズも入れてもらえず、それでも母親たちは精一杯の弁当をこしらえて持たせてくれた。今の子供達からしたら想像もできないだろう。オカズは貧しくとも麦飯だろうがストーブで温まった弁当の飯は育ちざかりの子供にはご馳走だった。
そんな貧しい少年時代を思い出させてくれるのも薪ストーブの炎の良さだ。貧しいモノを大事にする少年時代を過ごしたせいか、自給生活が習い性になっており、薪の他に、タクワン漬け、白菜漬け、を作り、干し柿、味噌なども作った。最近は黒ニンニク作りを教わり出来上がった。省エネ生活で冬ごもり状態だ。
祖父や家族全員で囲炉裏を囲み、年寄の昔話を真剣な眼差しで聞いた頃を思い出させてくれる、私の手伝い仕事は野良仕事の追われる母に代わっての炊事、カマドで羽釜に飯を炊き味噌汁を作ることだった。「火吹き竹」という先端に穴をあけた細長い竹に息を吹き込み火を熾した頃が懐かしい。寒い冬の朝で唯一暖かい光景を思い出す。
約30年前に買った米国製ストーブは今も健在で、家では私よりずっと存在感がある。
忙しくて実家に柿を取りに行けずに山形産の蜂谷柿で作った干し柿、白粉がふいて食べごろ
古い電気炊飯器を保温状態にして屋外に置き(ものすごく匂うので家の中では出来ない)一週間で完成した黒ニンニク、不思議なことに臭くはない。